私は贅沢な話ですが、仕事は選ばせてもらいました。我がままに見えていたと思いますよ。でも、求めていただくのはありがたいけれど、同じような役ばかりやっていたらこの先どうなるんだろうと。やりたくないと思ったら絶対にやらないって、信念を通したかった。
マネージャーは困っていたと思います。だけどそうしているうちに何か周りが私のために、一生懸命「これ、どう?」「これ、どう?」って言ってくれて。そのお膳立てに乗っていって、なんだか知らないうちにここまで来ちゃった。そんな女優でしたね。
この仕事が大好きで、一生食べていく覚悟の方がたくさんいる世界です。そういう方は当然、一生懸命努力します。そういう人生も素晴らしいと思います。でも私は、どこか人任せ。周りに助けられてここまで来られた人生でした。
篠さんは今回、写真をたくさん準備してくれていた。番組別にまとまっている。「ジュリーとの写真が1枚だけあるのよ」と見せてくれたのが、「悪魔のようなあいつ」(75年、TBS系)。宣伝用の写真などをもらうたび実家に送っていたから、母が整理してくれたのだろう、と篠さん。松田優作さん、田村正和さん、火野正平さん……亡くなられた共演者との思い出を楽しげに語る様子に、「堂々たる女優ぶりですね」と感想を伝えると――
いえいえ、ずっと自信がなかったです、私。いつも怖がっていました。ドラマに入る前は不安で落ち着かなくなるんです。入ってしまえば流れでいける。いつも自分に「大丈夫だから」って言い聞かせていました。同時に「こんなことできる器じゃないのにな」という思いもあって。本読みが始まれば、必ず最後には終わる。その度に「終わったじゃない、できたじゃない」って自分に言う。その繰り返しでした。
きつかったですね。新しい役が来ることはうれしいけれど、すごく不安。できるフリをしないとしょうがないからしていたけど、自分の中では大変でした。
確かにお涼さんから10年も経っているのに、「ここ一年ですね、やっと女優としてやっていこうかって決めたのは」(『週刊朝日』82年7月16日号)と弱気な篠さん。それが4年後に、「芝居がなんとなくおもしろくなってきたなという実感があったのね、すごく」(『MORE』86年6月号)と変わる。「金曜日の妻たちへ」(83年~、TBS系)があった。社会現象化した「金妻」の「Ⅱ」「Ⅲ」に出演、「女性が憧れる女優」という地位を築いた。
「金妻」は「Ⅰ」も話が来ていたけれど、別の仕事があって出られませんでした。だから「Ⅱ」で声をかけていただいて、うれしかった。すごくやりたかったドラマでしたから。思い出深い作品なので、いしだあゆみさんの先日の訃報に接して、心が痛みました。
私の髪型が若い方に真似されましたが、あれは大原麗子さんと一緒にお仕事した時に、彼女の前髪の巻き毛がすごく自然できれいで、憧れて。それで自分でもやってみようって、短い前髪をくるっと巻いてみたんです。
「金妻」の現場はね、つねに戦いでしたよ。女優さんはみんなそれなりに気が強いですから(笑)。誰が一番よく見えるかとか、ディレクターはものすごく気を遣って困っていたみたい(笑)。
私はそれとは別なところにいたけれど、自分で言うのも変ですが、いつのまにか注目されるようになってしまって。ファッション誌の取材も増えました。まいったな、大丈夫かな、そんな感じでいました。