いまから40年前のきょう、1985年9月11日、女優の夏目雅子が27歳の若さで亡くなった。その約7ヵ月前の2月14日、彼女は主演を務める東京・渋谷の西武劇場(現・PARCO劇場)での舞台『愚かな女』の公演中に病に倒れ、慶應義塾大学病院に緊急入院して以来、治療を続けていた。

1985年9月11日に27歳で亡くなった夏目雅子さん ©文藝春秋

訃報を聞いたショーケンは…「いい子は、早くに死ぬんですね」

 亡くなったのは午前10時16分で、まもなくして訃報が伝えられる。その日、俳優の萩原健一は、劇作家のつかこうへいからインタビューを受けるに際し、《さっき、夏目雅子が死んだらしいですよ。えっ、知りませんでした?》と言うと、次のように彼女を偲んだ(『つかこうへいインタビュー 現代文学の無視できない10人』集英社文庫、1989年)。

《あの子、いい子だったんですよね。/共演したことがあるんです。おにいちゃん、おにいちゃんと慕ってくれて。/いい子は、早くに死ぬんですね。僕はいい女優だと思いましたよ。アッケラカンとして……何か夜桜みたいな女の子だったよね、パーッと咲いて。かわいそうじゃない。ねえ、かわいそうですよ》

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“ショーケン”こと萩原健一さん〔2008年撮影、2019年死去〕 ©文藝春秋

 二人は単発ドラマ『露玉の首飾り』(TBS・東芝日曜劇場、1979年)と映画『魔性の夏 四谷怪談より』(1981年)で共演していた。彼女は生前、萩原について《お兄ちゃんと呼んでるの、何でも許してくれる感じの人。私、わがままだからヨシヨシといってくれないとうまくいかないみたい》と語っている(『週刊明星』1981年7月9日号)。

 夏目の訃報が載った新聞の夕刊を見ると、同じ紙面に翌日(9月12日)に発生から1ヵ月が経とうとしていた日航ジャンボ機墜落事故の関連記事が並んでいる。この事故では、夏目の所属事務所の後輩である若手女優・北原遥子が亡くなっていた(享年24)。ただし、北原をかわいがっていた夏目にはその事実は最期まで知らされなかった。

 夏目が亡くなった日の夜には、このころ米ロサンゼルスでの傷害・銃撃事件の犯人ではないかとの疑惑からマスコミに連日追われていた会社社長が逮捕され、報道はそれ一色となる。日航機事故の遺族や生存者に対してもマスコミ各社が殺到し、プライバシー侵害などの問題を引き起こしていた。

がん告知が一般的でない中で、「白血病か⁉」と報道

 夏目もまた例外ではなかった。入院時に医師から家族が、血液のがんである急性骨髄性白血病と宣告されたのを、どこで嗅ぎつけたのか、まもなくして「白血病か!?」という報道が流れた。以来、彼女の家族や事務所関係者は、本人がマスコミを通じて本当の病名を耳に入れてしまうのを恐れ、病室にはテレビや新聞・雑誌を入れないよう努めた。当時の日本では患者に対するがんの告知はまだ一般的ではなかったのである。