女優復帰後のプランも「最初の仕事はグラビアがいい」「お芝居も…」

 病床にあって8月27日には、最初にして結果的に最後となってしまった結婚記念日を迎え、事務所の人たちからお祝いの寄せ書きを贈られた。それを病室に届けたマネージャーは、その夜、彼女といつもより長い会話を交わしたという。このとき二人の胸の内には復帰後の仕事のプランさえふくらんでいたらしい。先の手記によれば……

《人に見つめられることのない長い入院生活で、彼女の顔は次第に女優としての表情を失い、あどけない子供のような愛らしさだけになっていましたから、最初の仕事は一瞬の緊張を要求されるグラビアがいい、それも彼女の好きな着物姿はどうだろうか、といった内容でした。/彼女もこのアイデアに熱心に同意し、嬉しそうに目を輝かせていました。(中略)最後に彼女は悪戯っぽく付け加えました。/「お芝居もいきなりオバサン役は嫌よ。まだまだ“イイ女”でいたいからね」》(同上。原文では「あどけない」に傍点)

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闘病生活を支えていた芝居への“燃えるような思い”

 夏目が倒れるまで出ていた舞台は結局、代役は立てられないということで中止になっていた。彼女は入院当初、そのことを気に病み、もう二度とこの世界で仕事ができなくなるのではとさえ思い詰めていたらしい。それでも元気になりさえすれば、いくらでも償いはできる、いまはとにかく快復に努めるのが先決だという方向へと、周囲の励ましもあって気持ちを持っていったという。マネージャーは先の手記で《結局、彼女の闘病生活のすべてを支えていたのは、御主人の愛情とともに、/「また芝居ができる」/その燃えるような思いだったと思います》と顧みている(同上)。

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 母も娘に治る気力を持たせるのは仕事の話しかないと思い、それまでほとんど観てこなかった彼女の出演作をこっそりビデオで観ては、病室で話題にあげ、演技を褒めた。ときには、ドラマの一場面を母娘でモノマネすることもあったという(小達スエ『ふたりの「雅子」』講談社、1997年)。