検死の結果、気道と肺に吸引された胃の内容物、胃の中に未消化の内容物、数ヶ所の注射痕、膣の浅い裂傷、性器周辺の新鮮な血痕、膣内の白っぽい物質が……。1982年、海外で起きた14歳少女の不審死事件。
娘が亡くなってから数カ月後、検死報告書を見た父親は死因が「心臓麻痺」であることに疑いを持ち始める。なぜ娘は死んだのか? 事故死に見せようとした人間の正体とは? 2009年に起きた「復讐事件」の発端となった事件を、我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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14歳の娘を失った父親・バンベルスキー
1938年にフランスで生まれたアンドレ・バンベルスキーは長じて会計士となり、1960年代前半にダニエル・ゴニンと結婚。1967年に娘のカリンカ、1971年に息子のニコラスを授かった。その後、一家はモロッコのカサブランカに移住、幸せな暮らしを送っていたある日、妻の不倫が発覚する。相手は数ブロック離れた家に住んでいたディーター・クロムバッハ(1935年生)で、ドイツ領事館に勤務する心臓専門医だった。
話し合いの末、夫婦は離婚。当初はバンベルスキーが子供を男手で一つで育てていたが、1977年に元妻ダニエルがクロムバッハと再婚したことにより、最終的に子供たちはドイツ(当時は西ドイツ)・バイエルン州リンダウのクロムバッハ家に住むことになる。親権も譲り傷心のバンベルスキーに許可されたのは夏・冬休みのみ2回の子供との面会で、そのことを生きがいに彼はフランスで1人孤独な生活を送る。
娘の突然の死
5年後の1982年、14歳のカリンカは健康で運動能力に優れた少女に成長し、フランス語の寄宿学校に通っていた。そんな彼女が夏休みで親元に帰省していた同年7月9日、急死してしまう。知らせを聞き駆けつけたバンベルスキーが説明を求めたところ、クロムバッハは次のように話した。
その日、カリンカは家の近くの湖のほとりで遊んでいたが、夕方家に戻ってきて日射病により頭痛を訴えたため、貧血治療用のコバルト・フェレシットを注射した。その後、部屋で寝かしつけたものの翌朝には死亡しており、なんとか蘇生させようと何本も注射を打ったが、息は戻らず警察と救急に通報。
検死の結果、気道と肺に吸引された胃の内容物、胃の中に未消化の内容物、数ヶ所の注射痕、膣の浅い裂傷、性器周辺の新鮮な血痕、膣内の白っぽい物質が発見されたが死因は特定できなかった。医者である自分がそばにいながら本当に申し訳ない――。
