「何かおかしい」
カリンカの葬儀はバンベルスキーの希望で、フランスで執り行われることになり、遺体も移送されるはずだった。が、なぜか娘の遺体が戻ってこない。バンベルスキーは疑問に感じ、葬式当日、別れた妻に検死報告書の結果を尋ねたところ、彼女は「忘れてしまった」という。
何かおかしい。
結局、検死報告書が届いたのはカリンカが死んでから3ヶ月後のこと。なぜ、こんなに遅れたのか。バンベルスキーはドイツ語の報告書を自ら翻訳し、さらに知り合いの法医学者に相談したところ、報告書に不可解な内容があることが判明する。1つは死因は心臓麻痺とされているがその理由が書かれていないこと。
2つ目に死の前日に日射病を治療する注射を打ったとの記載があったが、法医学者によればこんな注射はありえないということと、クロムバッハの「死の後に打った」との発言と矛盾していること。
決定的だったのは、遺体には複数の暴行の痕があったことで、これらの結果からバンベルスキーはクロムバッハが義理の娘を暴行するためにわざと注射を打ち、心臓麻痺はその副作用によるものだと推測。
「怪しい継父」を告発しようとしたが…
さらに、驚愕の事実が判明する。カリンカの検死にクロムバッハが自ら関わっていたのだ。
遺体の第一発見人かつ容疑者でもある彼が、検死結果に自分に有利な所見を反映した可能性は高い。バンベルスキーはクロムバッハの殺人を確信するに至り、ドイツ警察に再捜査するよう強く要請するも、警察当局は事故死として処理済みと相手にしなかった。これは、かつてクロムバッハがモロッコのドイツ領事館に勤務していたことからドイツ政府および警察当局が気を遣ったものと言われる。
納得できないバンベルスキーはクロムバッハが住むリンダウで、彼が娘を強姦し殺害したと告発するビラを約2千枚配布した。しかし、クロムバッハは地元の名士で市民からは絶大な支持を受けていた人物。
バンベルスキーは容赦ない罵声を浴びせられ、さらにクロムバッハの親族から名誉毀損で訴えられ、禁固6年または50万ドイツマルクの賠償金を命じられる。彼は支払いを拒否したが、ドイツへの入国を5年間禁止されてしまう。
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