事態が急展開を迎えるのは2年後の1997年。クロムバッハが自身が経営するドイツの病院で16歳の少女に薬物を飲ませ暴行した容疑で逮捕されたのだ。

 この一件で医師免許を剥奪された彼には他にも6人の女性が暴行された旨、名乗り出たほか、1970年代に妻を薬物注射で殺害した疑いも浮上する。しかし、16歳少女への暴行容疑以外は証拠不十分で不起訴となり、下された判決はたったの懲役2年4ヶ月。

 しかも、11ヶ月の服役を終えたところで釈放されてしまう。このあまりに軽い処置にフランスメディアは猛抗議し、500人もの女性がクロムバッハを糾弾するデモを起こす。その中で、最も怒りを感じていたのは言うまでもなくバンベルスキー。クロムバッハが娘を殺害したのは間違いなく、強く復讐を誓う。

ADVERTISEMENT

「いっそのこと、おまえが殺しにいけばいいのに」

 バンベルスキーの使命は彼を確保し然るべき裁判にかけることにあった。そこで、医師免許が剥奪されたにもかかわらずヨーロッパ各地で医師活動を続ける彼を、探偵を雇い調査。自らも仕事を辞め、クロムバッハに関する情報を求めるサイトを立ち上げるとともに、彼がよく行き来するドイツ、オーストリアなどに赴き独自調査を行うが、確保には至らない。

 その間の2004年、ドイツの裁判所はフランス当局によるクロムバッハの引き渡し要請を正式に却下し、事件は終了したと発表した。

 2006年、1人の女性の通報によりクロムバッハがドイツ・レーデンタールで無免許のまま医師活動を行っていたことにより逮捕される。が、2年後に釈放。バンベルスキーはそのニュースを聞き、自分では娘の無念を晴らせないことを痛感し苛立ちと焦りを強くする。

 2008年のある日、行きつけのバーで、事情を知る友人から言葉を投げかけられる。

「いっそのこと、おまえが殺しにいけばいいのに」