20歳で「ある事実」を知った
――四肢の欠損という障害以外は、健康体ではあった?
佐野 本当に四肢が欠損しているだけで、普通にオギャーと生まれて、体重も身長も平均的だったらしいです。
ただ、当時の先生たちもそういう赤ちゃんを取り上げたのは初めてだったみたいで、相当驚いたらしく。で、母親に今知らせると良くないだろうということで、すぐさまNICU(新生児集中治療室)みたいなところに連れて行かれたそうです。実際、産後2日後くらいに母親がはじめて私のことを見た時には驚いたようですね。
――そうだったんですね。
佐野 父は父で、妻を支えたいけど育てる自信もないという葛藤を抱えていたらしく……ある時、ドラマみたいですけど、私がニコッと笑ったのを見て気合いが入り、いったん乳児院に預けつつ、どうやったら自宅で一緒に過ごせるかを考えるようになったそうです。
――ちなみに、乳児院のことはいつ聞いたんですか。
佐野 20歳くらいの時です。本を出すためにライターさんと喋っている時に母親が普通に話しはじめて、「えーーっ!?」ってなりました(笑)。
――まさかのタイミングで知ったんですね。
佐野 母は「え、言ってなかったっけ?」みたいなノリでした。ちょっと天然なんですよ。子どもの頃に聞いてたらグレてたかもしれないので結果オーライかなとは思いつつ、さすがに驚きましたよね。
ただ、この障害になるのって、100万分の1とか、すごい確率なんです。それも、事前に何も知らないまま突然生まれてきたとなると、本当に大変だっただろうなと。
手がない分、足を器用に使って生活
――乳児院を出て、ご家族と一緒に暮らし始めます。SNSでは当時の映像をアップされていますが、階段を器用に上っているのが印象的です。
佐野 当時はまだバランスが取れなかったので、あごを先に階段の上段に乗せて、長い方の左足を引っ掛けて「よいしょっ」と登るような感じでやっていたんです。あとは、赤ちゃん用の“ガラガラ”を左足の3本の指で持って遊んでたりもしていたみたいですね。
手がないのが当たり前だったので、自然と足を使っていたんです。
――食事やトイレといった部分はトレーニングして?
佐野 小学校に上がる前には、皆さんが手でやることを左足の3本の指で行うかたちで、食事も勉強もできるようになっていました。
最初こそ、足では難しいのではと、周りの人がいろんな器具を考案してくれたんですけど、私が進んで足でいろんなものをつかんだりしてたらしく、それを見た母が、「じゃあこの3本の指でできることを増やせばいいじゃん」となって、猛特訓がはじまったんです。

