教育委員会から「受け入れ拒否」をされたことも
――幼少期、周りとの差を感じた瞬間はありますか。
佐野 私自身は保育園ではじめて感じたんですけど、実はその前、乳児院から私を引き取った後、しばらくずっと外に出てなかったらしいんです。
当時は今より世間の目が冷たかったというか、障害者に対する差別が結構あって、親が私を連れて外に出ると、指をさされたりじろじろ見られたり、「かわいそう」とかって声かけをされたりすることがしょっちゅうだったらしくて。
――それで、親御さんは佐野さんを外に連れて行かなかったと。
佐野 そうみたいです。でも、訪問してくれていた乳児院の先生から、「出ていかないと駄目でしょ!」と怒られたそうで。「これから有美ちゃんが大きくなるにつれて周りの助けも必要になってくるんだから、外に出て行ってお母さんが明るくいかなきゃ!」と励ましてくれたことで、両親も徐々にたくましくなったんでしょうね。
――佐野さん自身は保育園ではじめて周囲と自分との差を感じたということでしたが、何かきっかけがあったんですか。
佐野 保育園に行く前までは「肢体不自由児施設」に通っていて、そこは脳性麻痺の子や知的障害の子とか、いろんな子が周りにいる環境だったんですね。「みんな違うから、逆にみんな一緒」みたいな感じで、自分だけが違う意識は全然なかったんです。
その後、年長の1年間だけ保育園に通い出したとき、周りの子たちから、「なんで手足がないの?」「お化けだ」「怖い」とか、すごくいろいろな言葉を言われて。「えっ、私ってそんなに皆と違うの?」と、初めてショックを受けたと思います。
ただ、子どもって純粋だから、一度ちゃんと説明すれば納得するんですよね。
――佐野さんご自身が説明をして?
佐野 いえ、両親が一生懸命説明してくれましたね。
今は一般校の中に支援学級があるくらい、障害児の受け入れ体制が整っていますけど、当時は前例がないということで、小学校に上がる際、教育委員会から受け入れ拒否されて。でも、両親が教育委員会や学校と交渉してくれて、入学できました。
あと、その小学校は、当時通っていた保育園から遠かったんです。そこで、小学校の近くの保育園に体験入園して、あらかじめ友だちを作ったうえで入学できるようにも両親が気を利かせてくれました。事前に環境を整えてくれたこともあり、小学校は本当に楽しく通うことができたんです。
