小中学生時代には、何回も「死にたい」と思ったことも
――電動車椅子で小中高と通常学級に通っていたそうですが、小学校のときに大きな挫折があったそうですね。
佐野 手がない、足がないって言われ続けてきたこともあって、とにかく口だけは負けてたまるかと、傲慢になっていたんですね。結果的に、友だちから「もう有美にはついていけない」と言われて、一人ぼっちになりました。
――心無い言葉をかけられたとき、友だちが助けてくれたこともあったそうですが、その友だちが離れていってしまったと。
佐野 誰にも消しゴムを拾ってもらえなかったとき、ようやく、「私って自分じゃ落ちた物も拾えないんだ」と気づきました。
それからは、「よくこんな体とみんな遊んでくれてたよね」みたいな感じで自分が大嫌いになっちゃって、何回も死にたいと思いましたね。
――それまではご自身の体について悩むこともあまりなかった?
佐野 環境がよかったからこそ、あまり悩みを持たずに済んだんだと思います。その一件を機に、とにかく嫌われないよう、自分の意見も言わなくなってしまいました。
表面的にはうまくやっているように見えたと思いますが、中学時代は、「あと何日行けば休みだな」と、休みの日を心待ちにするほど学校が嫌でたまらなかったです。
「なんでいつも有美ばっかり!」姉と母の涙が、自分を変えた
――一転、高校時代はチア部に入り、卒業後は声のお仕事をはじめてメディアにも出演されます。転機は?
佐野 ある日、3つ上の姉が「なんでいつも有美ばっかり! 私は何? 私も家族だよね?」と、ものすごい怒っている声が聞こえてきてしまったことがあって。
――お姉さんも溜まっていたものが何かあった?
佐野 私が中学3年生のときで、3つ違いなので姉も高校卒業を控えていた時期でした。私は学校が嫌だし人間関係にもう悩みたくないし、義務教育でもないしで、進学する気がなかったのですが、両親は私を進学させたがっていたんです。ただ、私が通うとなると、エレベーターがあるような私立じゃないと難しいので、お金もかかりますよね。
一方の姉は看護学校に進むつもりで両親に相談したら「ごめん、どうしても有美を私立の高校に通わせたいから、あなたの学費は払えない」と言われて、溜め込んでいた思いを爆発させたんです。
――その声をたまたま聞いてしまったんですね。
佐野 自分の部屋の隣で母と姉が言い合ってたから、丸聞こえで。ただ、姉の思いも知ったことで、「どうせこの体だし、もう何をやっても無理」なんていじけてる場合じゃないと、吹っ切れましたね。
――その後、佐野さんとお姉さんとの関係は……?
佐野 姉はその後、自分で学費を稼いで見事、看護師になりました。「あの時はマジでムカついた」って言われましたけど(笑)、本当に感謝しかないですし、今も仲良しです。
