作家の真山仁氏が、歌舞伎俳優・坂東玉三郎氏の半生を描いた小説『玉三郎の「風(ふう)を得て」』を上梓する。本作を起点として、玉三郎氏が自身の半生や歌舞伎への思いを語る。
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評伝はすべて断ってきた
真山 今回、『玉三郎の「風(ふう)を得て」』(9月26日発売予定、文藝春秋刊)という本を書きました。前半部分は、玉三郎さんの生い立ち、十四代目守田勘彌の芸養子となり五代目坂東玉三郎を襲名するまでの時代を、小説形式で書きました。
玉三郎 今までも評伝みたいなものを書かせて欲しいと言ってきた人は何人かいたんだけど、全部お断りしてきたんです。今回もずっと嫌だと言ってたんだけど、最後には根負けして「子ども時代だけならいいよ」と(笑)。
真山 小説形式にした理由は、玉三郎さんが語ったことだけで書いているわけではなく、私の主観や推測を交えているからです。私は玉三郎さんの実の両親にも、養父の勘彌さんにも会ったことはありませんから、そこは自分の責任で、小説家としての想像力を働かせて書くしかありません。
玉三郎 そのやり方が良かったんだと思いますね。僕が自分で語ると、どうしても言葉が大きくなってしまう。人間って、他人にはあえて語らない部分もたくさんあるじゃないですか。そこが抜け落ちて、語った部分だけが肥大してみんなに伝わると、実際とは似ても似つかない話になってしまう。
真山 玉三郎さんの本名(守田伸一)から名付けた主人公・シンイチの視点の時は、その心情をなるべく書かないようにしました。そうでないと、聞き書きスタイルと変わらなくなってしまう。
玉三郎 実際、心情があんまりない子どもでしたしね(笑)。ただ踊りや芝居をするのが好きでやってきただけで、「一生、歌舞伎の世界でやっていこう」と思い詰めていたわけでもないし、逆にやめようと思ったこともないんです。たぶん世間の人は、特別な教育を受け、ものすごく選ばれた位置にいたみたいに思っているんでしょうが、本人からすると全然そんなことはないんですね。
真山 たしかに誰かと競うとか、頑張らなきゃいけないといったお話を聞いたことは一度もありませんね。「いつ(歌舞伎を)やめてもいい」、人生も「いつ終わってもいい」と出会った40代の頃からずっとおっしゃっていました。お会いしてから最初の数年間は、死についての話ばかり。人間はなぜ生きているのか、なぜ死ぬのかという、哲学的な話を。なぜそんなに「死」に興味があるんですか?
玉三郎 だって死と一緒にいないと、芝居ができないから。

