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その後の展開は、アニメのアンパンマンを見たことがある人なら知っているとおりだ。つまり、そうして初期バージョンからブラッシュアップを繰り返し、アンパンマンは現在の形になり、国民的キャラクターにまで成長した。後年、「人気がでるまでに20年もかかるというのがいかにもぼくらしいところ」とやなせも振り返っている(『やなせ・たかしの世界』サンリオ)。
「アンパンマンがぼくらの子供」という思い
実際には、妻の暢がドラマのようにアンパンマンにこだわって、ブレイクのため貢献したという記述はない。ただ、やなせは妻の死について、こう綴っている。
ぼくら夫婦には子供がなかった。妻は病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護婦さんや見舞客に配っていた。アンパンマンがぼくらの子供だ。
『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
シンプルな言葉から、45年間、苦楽を共にした妻に先立たれたやなせの痛切な思いが伝わってくる。作者にとって単なる創作キャラクターではなかったからこそ、アンパンマンは今でも多くの人に愛されているのではないだろうか。
村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
