なぜ台湾チアは“アイドル”になったのか?
まず話を聞いてみたのが、楽天モンキーズのチア集団「楽天ガールズ」の陸筱晴さん(以下、筱晴)だ。
筱晴さんは1990年生まれで、高校・大学とダンスを専攻してきた専門家だ。2010年にモンキーズの前身のLa Newベアーズのチアガールチームに正式参加。現在は楽天ガールズのダンス総監督兼マネージャーのほか、プロバスケットボールの桃園レオパーズのチアチームの総監督も務める。過去のアルバイト的なチア加入期間も含めると、キャリア17年、台湾球界でチアガールが現在ほど注目される前から踊り続けてきたという、チア業界の生き字引である。
「私も最初はアルバイト的な参加でした。むかしは私みたいにダンス系の方が多くて、職業も元OLさんがやっていたり、いろんな人がいたんです。『太ったから』と辞めていった人もいたり……。それが、徐々に組織や体制が整備されていった感じです。最近はインフルエンサーとか元アイドルの子が加入する例も多くて、過去とはかなり様変わりしていますね」
彼女が働くよりも前の時代、台湾のチアガールはショーガールのような位置づけにすぎなかった。もっと昔にはダンス無しでサイダーを売っていた人たちもいたという。
2009年、筱晴さんが19歳のときにはチアガールチームがいちおう結成されていたが、メンバーも現在のように固定していなかった。実際にYouTubeで当時のチアガールの映像を見ても、応援ルックの若い女性が応援団の笛や太鼓に合わせてメガホンを叩き好きに踊っているだけで、現在のように単独で成立するコンテンツにはなっていない。
やがてチーム名がLamigoモンキーズに変わり、チアチームも「LamiGirls」としてすこし整備されたが、まだ「大したことがなかった」。状況が変化したのは2016年からだ。
「LamiGirlsがユニットとして歌手デビューしたんですよ。MVを撮影してテレビに出て。これがアイドル化のはしりです。当時は私も中心メンバーでした」
楽曲が盛んに聴かれ、ポスターやグッズも売れるようになった。各球団もチアチームの整備に本気になっていく。ちなみに「LamiGirls」は、球団が2019年に日本の楽天に買収され、現在は「楽天ガールズ」に改名している。
「むかしはしっかり踊れたらOK。終わってから出待ちをするファンの方もいなかったですね。チア個人がインスタやライブ配信もしていなかったですし。いまは芸能人化していますし、個人事業主として活動を考えなきゃいけない感じ。かなり雰囲気が違うんですよ」



