外務省の職員だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)との結婚が内定した当時の報道によれば、“お妃探し”はまず、学習院大学など各方面に、相応しい相手の推薦を求める。そして、限られた宮内庁幹部が書類選考し、次に、複数の大手興信所に調査を依頼する。その後、ファイルを本人に見せて、ゴーサインが出れば、二人の出会いの場を作る、という順序だったらしい。
1993年6月9日に陛下と雅子さまは結婚されるが、雅子さまの親族が水俣病の原因企業の元会長であったことが問題視され、一時、宮内庁があきらめたこともあるなど、陛下の結婚相手を探すことはとても難しかったようだ。
1993年1月、皇室会議で結婚が正式に決まった後、二人はそろって会見に臨まれ、これまでの経緯や今の心境などを率直に語っている。
プロポーズのお言葉は…
――プロポーズの時期と場所、その言葉はどのようなものだったのでしょうか。また、雅子さんの返事の時期と言葉はどのようなものだったのでしょうか。
陛下 (昨年の)10月3日に千葉県の鴨場でもって雅子さんの方に「私と結婚していただけますか」というようなことを申しました。その時の答えは、はっきりとしたものではなかったわけですけれども、その後、12月の12日にこの仮御所に来ていただいて、そこでもって、「私からの申し出、受けていただけますか」というふうに申しまして、そしてそれを受けていただいたというわけであります。
雅子さま そのとき、12月12日ですが、私からはまず殿下に、「本当に私でよろしいでしょうか」というふうにうかがいました。
雅子さまから問われた陛下は「はい、そうです」と答えられた。そして雅子さまのお答えは……。
