理想の女性像であげられた“女優の名前”
「困ったな(笑)。ぼくの場合、幼稚園とそれから初等科は男女共学だったんですけれども、それからあと中学、高校はまったく男だけの中に育って」
「ですからその期間、まったくといっていいと思うんですけれども、女子の学生との交流っていうのがなくって、大学に入って、また共学になって一種の新鮮さっていうものをちょっと感じている段階なんですけれども。入った当初は、何となく自分でも女子学生とつき合う時に何かぎこちなさってものを感じたんですけれど、最近は少しずつ慣れてきたかなという感じも受けるんです。ですから、まあ理想像っていうのは徐々に徐々にできてくるんじゃないかなと思います」
さらに、記者から、「今までよく竹下景子とか名前が出ていますけれど」と、聞かれると、「そう、竹下景子なんかいいと思います」と、陛下は答え、記者たちの笑いを誘っていた。
皇太子さまにとっての“青春”とは?
最後に、「大学生活で青春を謳歌されてる時だと思うんですが、青春というのは要するに宮様にとってどんな時代なのですか」と質問され、次のように熱く語っている。
「青春ってものはやはり、あらゆるものに挑戦し、それから自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また模索する時期じゃないかなって考えるんです」
「自分自身あとから考えてみて、ああ、あの時代、今の時代ですね――を精一杯生きたんだなと思えるような、そういった時期にしたいと思ってるんです」
陛下は生まれた時から、将来の天皇として周囲から期待され、大切に育てられてきた。本人もそのことを強く自覚して成年を迎えている。特に、結婚問題については、学習院大学に入学したばかりのころから注目されていた。
成年式の3年ほど後にスタートした“お妃探し”
実際の“お妃探し”がスタートしたのは、成年式の3年ほど後からだったようだ。1982年春、学習院大学を卒業し、翌83年6月から2年数カ月の英オックスフォード大学への留学を前に本格的に始まったようだ。
