梯さんは北海道大学を卒業してサンリオに入社、やなせさん「責任・編集」の雑誌「詩とメルヘン」編集部で働いた。辻さんもやなせさんも知る立場で、書き語っている。私は梯さんを通して、辻さんが「やなせさん」だと知った。

誰にでも“さん付け”だった

辻さんとやなせさんの関係を整理すると、その縁はキャンディーから始まっている。「かわいい」をキーワードにしたビジネスを始めていた辻さんは、不二家に納入するキャンディーの容器をデザインするようやなせさんに依頼する。文学青年だった辻さんはやなせさんが自費出版した詩集を見て、銀行や社員の反対を押し切り、会社に出版部を作ってしまう。出版第一号がやなせさんの『愛する歌』だったことは「あんぱん」でも描かれた。1966年のことだ。

「詩とメルヘン」の創刊は1973年。梯さんはその編集者になりたい一心で、サンリオを受けたという。私と梯さんは1961年生まれで、雇用機会均等法より前に就職活動をしたもの同士だ。梯さんを通して知る当時のサンリオは、同時代に新聞社で働いた者としてとても興味深い。

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梯さんは入社1年目に辻社長の秘書をし、2年目に「詩とメルヘン」編集部に異動した。『NHKドラマ・ガイド あんぱん Part2』(NHK出版)のインタビューでは、辻さんから「梯さんは『詩とメルヘン』がやりたくて津軽海峡を越えてきたじゃんね!」と甲府弁で言われたと語っている。そして、やなせさんのことは〈誰に対しても名字に“さん付け”で呼びかけ、フラットに接する方でした〉と言っていた。

辻社長もやなせたかしも“稀な男性”

辻さんからも、やなせさんからも「梯さん」と呼ばれていた梯さん。とても幸せだったと思う。なぜなら昭和という時代、職場で女性はかなりの確率で下の名前で呼ばれていた。梯さんなら「久美子」または「久美ちゃん」あたり。男性が下の名前で呼ばれることはほとんどないわけで、「舐めんなよ」という話だが、それが昭和だったのだ。この「さん付け」エピソードだけで、辻さんもやなせさんも職場では得難い存在の男性だったことがよくわかる。