辻さんは1975年4月に「いちご新聞」を創刊、サンリオショップなどで販売する。私はサンリオキャラクターの大ファンというわけではなかったが、その新聞の名前は知っていた。地元で子どもの頃から優秀で知られていた3つ年上のお姉さんが、東京の有名大学を出てそこに就職したと聞いたのだ。お姉さんの優秀伝説は、それでますます高まった。

辻さんは「いちご新聞」第1号から、「いちごの王さまからのメッセージ」をずっと書いている。2025年8月8日発売の9月号は創刊50年特集で、前年末に97歳になった王さまはこう書いていた。

今年はいちご新聞50周年の記念の年なので、いちご新聞編集局のお姉さんたちは張り切って特集を組んだり、取材をしたりしています。王さまは、その様子を見て、「いちご新聞の創刊当時は大変だったなぁ。いちご新聞の草創期を支えたいちご新聞のお姉さんたちもきっと、50周年を喜んでくれていることだろう」と昔のいちご新聞編集局のことを懐かしく思い出していました

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画期的だった「現代女性詩人叢書」

私の近所にいたリアルお姉さんは、草創期を支えた「お姉さんたち」の1人だった。梯さんや私よりもっと前に就職活動をした女性にとって、サンリオは遠くにともる灯台みたいなものだったに違いない。しみじみとした気持ちが心に広がった。

梯さんは「あんぱん」のスタートに合わせ、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋)を出版した。そこでは山梨シルクセンター出版部の出した詩集の話にも触れている。『愛する歌』が増刷を重ねたこともあり、谷川俊太郎、サトウハチローらの詩集を次々刊行した。そして1971年から刊行をはじめたのが、全14冊の「現代女性詩人叢書」だった。梯さんは、〈男性が中心だった戦後現代詩の世界で、女性詩人の単独詩集をこれだけそろえた叢書は画期的で、戦後女性詩の歴史が概観できるラインナップになっている〉と書いた。

辻さんが「やなせさん」だったことを表すエピソードだと思った。辻さんは「女性詩人の叢書を作って、詩壇と出版界に一石を投じよう」ではなく、「男性も女性も詩人じゃんね!」な気持ちだったと思う。そして梯さんも、私と同じ目で辻さんを見ていたはず――と、どちらも勝手な見立てだ。