羽生さんが「全くかなわない」と明言したワケ

 令和6年(24年)に伊藤匠が叡王を奪取して、藤井さんの八冠独占は崩れました。伊藤さんの勝因は、終盤の読みで藤井さんを上回ったことにあります。藤井さんに勝つには、周到な事前研究は当然として、最後は終盤で競り勝つしかありません。それをやり遂げて、同学年の覇者を破った伊藤さんは見事でした。相当な努力をされたのだと思います。

 これまで話してきたように、我々は強者に学び、彼らの技術を取り入れてきました。藤井さんにしても同様です。私は令和5年(23年)の王将戦七番勝負第1局▲藤井聡太王将―△羽生善治九段を観戦したのですが、羽生さんの△3七歩に対して、藤井さんがとても感心していたのを覚えています。次に歩が成って、その次に駒を取って初めて意味がある手です。攻めていらっしゃいという、羽生流の手渡しですね。藤井さんはそれ以降、手渡しの手筋をたびたび使うようになりました。

羽生善治九段 ©︎文藝春秋

 藤井さんの終盤の勝ち方や技術が今後、全体に共有されるのか。それはわかりません。谷川さんや羽生さんの勝ち方は、技術論や方法論に落とし込むことができました。だから、ほかの棋士も取り入れることができたのです。しかし、藤井さんのそれは天賦の資質による読みの力が大きい。どうすれば藤井さんと同じレベルに到達できるのか、その手段は確立できていません。これは大きな課題であり、いまは棋士がそれぞれ独自に努力している段階です。ただ、今の若手が勝つために、危険な道(自玉が危なくなる選択など)を歩んでいこうと思っているのは間違いありません。

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 ちなみに、羽生さんは藤井八冠誕生直後に「自身が全冠制覇したときと藤井聡太八冠はどっちが強いか」と問われて、「全然かなわない。全くかなわないです」と即答しています。これは謙遜に加えて、技術は後輩に引き継がれて進化していくものという考えも背景にあるように思います。羽生さんのライバル・森内九段も同じ質問に「やっぱり同じ時代でないと比較することは難しい。いくら地力が問われる局面でも、藤井さんは30年分の進歩した知識を身に着けているわけですから。同様に、いかに藤井さんであっても30年後に全冠制覇するような人が出てきたら戦うのは大変」と答えています。最先端の考えやテクニックはいつしか当たり前のものになり、次世代が斬新な戦いを編み出す。だからこそ、将棋界には先輩こそ後輩に将棋を教わるべきだという文化があるのでしょう。

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