岩崎宏美「すみれ色の涙」がランクインした八月六日

 一九八一年の夏のことだ。

 岩崎宏美さんの「すみれ色の涙」がランクインしたが、「ザ・ベストテン」の日は、広島でコンサートがあるという。それは八月六日にあたっていた。

 普段なら、地方からの中継はTBSの系列局が協力してくれるが、この日ばかりは、頭から「できない」の一点張りだという。八月六日は、広島に原爆が落とされた、決して忘れられない、記憶し続けていかなければならない特別な日だ。系列局は、そんな日に歌の中継をするなんて絶対に不可能だ、と言った。でも、なぜ報道番組ならよくて、「ザ・ベストテン」の中継はできないのか。原爆や戦争への思い、平和を願う気持ちは変わらないのに。修爾さんは、自ら台本を書き、岩崎さんの意志も確認し、広島へ何度も行って、系列局を説得した。

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岩崎宏美 ©文藝春秋

 そして私に対しては、

「八月六日が木曜になることは、カレンダーを見ても、これから先、当分ありません。まして広島から中継をする機会は、これが最初で最後でしょう。原爆について、『ザ・ベストテン』でやりたいと思いますが」

 と言った。もちろん、私に否(いな)やはなかった。何も歌番組で暗い話を聞きたくない、という視聴者も当然いらっしゃるだろうけど、日本人として、いや、人間として、どうしても伝えるべきことはあるのだから。

 当日、まず、岩崎さんがいるRCC(中国放送)のビルの屋上から、今のにぎやかな広島をカメラが映したあと、元安川の灯籠流しや原爆ドームも映し出した。スタジオでは、私が、昭和二十年八月六日の悲惨な広島の写真を出した。

「黒柳さんが泣きながら言っていますから…」と久米宏

 私は、

「どんなに夢がある人も、どんなに優秀な人も、恋人が待っている人も、普通に暮らしている人も、戦争があると、一瞬でこんなことになっちゃうんです。だから絶対に平和を守らなきゃいけないんです」

久米宏 ©文藝春秋

 と喋っているうちに、声が詰まってしまった。すると久米さんが、この時も、「黒柳さんが泣きながら言っていますから、みなさん、聞いてやってください」と助けてくれた。久米さんは、自分だって、原爆や戦争への思いを話したかっただろうに、そう言ったきり、口を挟はさむことはなかった。そして、修爾さんは、いつものように何も言わなかったけど、それで充分だった。