司会を務める『徹子の部屋』が今年2月に放送開始50周年を迎えた黒柳徹子さん。NHK専属のテレビ女優第一号としてデビューし、テレビ、ラジオ、舞台女優のみならず、ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の執筆、ユニセフ親善大使など、幅広い分野の第一線で長年にわたり活躍してきた。
そんな徹子さんが、幼い頃から人生のさまざまな場面で大切に受け取り、励まされてきた「二十四の名言」を辿る、書き下ろし自叙伝『トットあした』(新潮社)より一部を抜粋して紹介する(全4回の4回目/最初から読む)。
◆◆◆
「浅草で、ひどいやつっていうか、本当に腕の立つやつは…」
いつか、兄ちゃん(渥美清さん ※編集部注)が言っていたこと。
「浅草で、ひどいやつっていうか、本当に腕の立つやつは、ひとりで舞台に出て行って、客席で弁当を食べているようなおじさんから、家庭の事情やら、勤め先やらを聞き出して、『おかず、何だい?』『どっから来たの?』『別れちゃいなよ、そんなかあちゃんとは』『そんな会社、潰つぶれちゃうよ』なんてところから、ワアーッと持って行って、三十分でも四十分でも持たしちゃう。そういうのが、銭を取れる役者、達者な役者なんだと、みんなが信じていて、一日も早くそうなろうと、もがいていた悲しさみたいなものがあったね」
その「腕の立つやつ」は兄ちゃんのことに違いなかった。
ところが、劇場が揺れるくらい満場を笑わせていた兄ちゃんなのに、ある日を境に、ピタッとお客さんが笑わなくなった、という。突然の変化に、兄ちゃんはすごく焦った。でも、どうやっても、うけない。うけないままで何日かが過ぎた頃、自分がひどい結核になっていることが分かった。
「同じことをやっているようでも、健康じゃないと、お客は敏感にそれと察して、笑わないんだな。これほど悲惨なことはない、と思ったねえ」
そして兄ちゃんは、二十代後半の二年近くを療養所で暮らすことになった。そこでいろんな死を見た。よく喋り合っていた隣りのベッドの患者が、翌朝には冷たくなっていた。当時、まだあまり手に入らなかったチーズを細かく切って、一日ひときれずつ食べ、「これで栄養をつけて、元気になるんだ」と言っていた隣りの患者も、チーズを食べきる前に亡くなった。
