兄ちゃんは寅さんの格好で私を迎えてくれた
いま思うと、杉浦さんは缶ピース党で、名古屋さんも福田さんもタバコを指から放さないスモーカーで、私は吸わないけど煙が気にならないほうだから、気がつかなかったけれど、兄ちゃんは、もうその頃には肺を悪くしていて、なるべく、タバコの煙を吸わないようにしていたのだろう。若い時の結核で、「肺を片方取った」と言っていたし、最後の病も肺だった。本当に申し訳ないことをしたけれど、兄ちゃんは「すまないけど、タバコの煙、どうにかしてくんない?」などとは、決して言わない人だった。そして、私は、兄ちゃんの病にぜんぜん気がついていなかった。
兄ちゃんが亡くなる前年だから、一九九五年のことだ。偶然、山田洋次監督に会ったら、「ちょうど、いま次の『寅さん』を撮ってます。明日は団子屋の撮影ですよ」と仰ったので、しばらく兄ちゃんとも会っていなかったし、寅さんに扮した兄ちゃんを直じかに見たこともなかったから、松竹大船撮影所まで撮影見学に行かせてもらうことにした。山田さんは、よろこんで、「ぜひぜひ、いらしてください」と言ってくださった。
兄ちゃんは丹前(どてら)にタオルの鉢巻、という寅さんの格好で私を迎えてくれた。いつもの笑顔だった。撮影中も、自分の出番ではない時には、セットの隅の方にいる私のところへやってきて、二人でベンチに座り、昔みたいにヒソヒソ話をしてはクックックと笑い合った。
私の顔を覗き込んで、「うまいかい?」と訊く
お昼ご飯は、寅さんの格好のままで、撮影所の近くのおそば屋さんに連れて行ってくれた。私はざるそばを食べ、兄ちゃんはあたたかい、おうどんを食べた。
兄ちゃんは私の顔を覗き込んで、「うまいかい?」と訊き、私が「うん」と言うと、
「でも、それじゃ足りないだろう? なんか、ほかのもの、天ぷらそばとか、どうだい?」と訊いてくれた。「いつか、おれがいっぱい稼いで、エビチリを(あるいは北京ダックを)食いたいだけ食えるようにしてやるからよ」なんて言っていた、若い頃の兄ちゃんと同じだった。もっとも、兄ちゃんはあまり食欲がなさそうに見えた。昼食後はまた、お団子屋さんのセットに戻って、撮影の合間にヒソヒソ話。とても楽しい一日だった。
数日後、山田監督から手紙が来た。

