司会を務める『徹子の部屋』が今年2月に放送開始50周年を迎えた黒柳徹子さん。NHK専属のテレビ女優第一号としてデビューし、テレビ、ラジオ、舞台女優のみならず、ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の執筆、ユニセフ親善大使など、幅広い分野の第一線で長年にわたり活躍してきた。

 そんな徹子さんが、幼い頃から人生のさまざまな場面で大切に受け取り、励まされてきた「二十四の名言」を辿る、書き下ろし自叙伝『トットあした』(新潮社)より一部を抜粋して紹介する(全4回の2回目/続きを読む)。

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テレビ離れ、という言葉が広く使われているくらいだから…

 ニューヨークから帰国して十二年たった一九八四年、私は五十を過ぎていたにもかかわらず、ふたたび、自分の世間知らずぶりに深くショックを受けることになった。

 その話をする前に、まずNHKに入った頃、私が見つけた、ある文章のことを書いておきたい。

 私もいまでは、「テレビ」と略して言ってしまうけど、私がNHKに入った頃は(つまり日本でテレビ放送が始まった頃は)、私たちは略さずに、きちんと「テレビジョン」と呼んでいた。私はこの呼び方のほうが、ほんとうは好きだ。

黒柳徹子 ©下村一喜

 インターネットの発達などのために、テレビ離れ、という言葉が広く使われているくらいだから、テレビの理想、なんていうのも、思い出したり、考えたりする人も少なくなっただろうか。

 NHKに入ってから、私は「テレビジョンって、なぜテレビジョンと呼ばれるんだろう?」と疑問に思って、スタジオやなんかで、いろんな人に訊いてみたけど、「テレビジョンだからテレビジョンじゃないの?」みたいな返事ばかりだったから、時間を見つけてはNHKの図書室に行って、いろいろ資料を探してみた。とはいえ、何しろ歴史が始まったばかりのテレビジョンだったから、資料も少なかった。