『サンタさんアフリカにいってくらさい ぼくはなにもいりません』
そんなふうにして、私は、コンゴで、コートジボワールで、ハイチで、ルワンダで、シエラレオネで、モーリタニアで、南スーダンで、その他のさまざまな国で、悲惨な状況におかれた、いろんな子どもたちと会ってきた。でも、絶望するより、悲観するより、少しでもできることを探すほうが先だ、と信じてやってきた。
私が親善大使として訪れたアフリカの飢餓状態を報じるテレビ番組が放送されると、あるお母さんから手紙が来た。
「うちの子は、六歳の男の子です。クリスマスのプレゼントをサンタさんに入れてもらう靴下に、私も知らないうちに子どもからの手紙が入っていました。『サンタさんアフリカにいってくらさい(ください) ぼくはなにもいりません』。クリスマスの朝、靴下の中にサンタさんからの返事が入っていました。『ありがとう、アフリカに行ってくるよ』」
子どもって、なんと素敵なんだろう。お母さんも素敵だ。こんな素晴らしい手紙が届くのだから、やはりテレビで放送することには意味がある、と私はあらためて思った。
きっと、この男の子は、サンタさんがアフリカに出かけて、飢えている子どもたちに、大きい袋からいろんなプレゼントを渡しているところを夢に見たに違いない。そのサンタさんはトナカイのひく、ソリに乗ったまま、干ばつの砂漠に雪を降らしたかもしれない。
ユニセフのグラント事務局長は、「一九四〇年代初めに、インドで大飢饉が起きて、これは本当にひどいものだったけど、その惨状を世界に報(しら)せる術がなくて、そのために三百万人もの死者を出してしまった。でも、いま人びとは知る手段がある。知っていて、何もしないでいることは犯罪だと思う」と私に言った。いまでは、何かひどいことが起きると、それを世界中の人びとが、テレビや、インターネットや、活字を通じて知ることができる。
子どもたちにとっては、知られていないことが、いちばん悲しい
そのおかげで、私が親善大使になった一九八四年には、一年間に千四百万人以上の五歳未満の子どもたちが死んでいたけれど、二〇二三年には四百八十万人にまで減った。あと少し!
もちろん、子どもたちを救うためには、お金も、物資も、政治的な力も必要だけれど、子どもたちにとっては、知られていないことが、いちばん悲しいことかもしれない。
「私たちは子どもたちのために、何ができますか?」と訊いてくださる人には、私は「まず、知ってください。関心をもってください」と答えてきた。
見たことを伝えるだけで、たった一人でも助けることができれば、それはすごいことだし、いまでもテレビにはその力があるだろう。このことは、かつてNHKに来たテッド・アレグレッティさんが述べた「テレビジョンの理想」に、少しずつでも近づいている証明のように思える。
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