兄ちゃんは涙を流して、爆笑と形容していいほど、笑いこけた
「どうして、すぐ返事をくれなかったの? 相変わらず、秘密主義者ね」
「いや、いろいろあってさ」
兄ちゃんは、しばらく連絡が取れないなと思っていると、こっそり海外旅行をしていて、それを後から聞かされることも多く、私は昔から「秘密主義者!」と呼んでいた。以前はよく、アフリカとかタヒチとかに行っていた兄ちゃんだけど、さすがに、今はそんなに遠くまでは行かないかなと思って、
「温泉かどっかに行ってたんでしょ、女かなんか連れて。そうでしょ!」
と言うと、突然、兄ちゃんは笑いだした。本当に涙を流して、爆笑と形容していいほど、笑いこけた。
「お嬢さん、あなたは本当に馬鹿ですね。温泉なんて行ってませんよ」
私は(あ、これはズバリなんだわ!)と思って、
「嘘つき! 外国までは行ってないと思うから、箱根とか、温泉よね。女つれて行ったのね!」
と、さらに追及すると、
「行ってませんよ!」
と言って、兄ちゃんはかぶっていた帽子を脱ぎ、ハンカチで涙だけでなく、頭もふいていた。頭から湯気が出るほど笑っていた。
その時は、兄ちゃんがどうして、そんなに笑うのか、分からなかった。あとは、五人でいつもどおり、話はあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだり、脱線するだけ脱線して、夜遅くまで笑い合った。
その頃の兄ちゃんは、家ではほとんど横になって過ごしていたのだ
実は、もう、その頃の兄ちゃんは、家ではほとんど横になって過ごしていたのだ。いつも家族が見るのは、壁の方を向いて寝ている兄ちゃんの背中だけだった。外出するのは、病院通いの時だけだった。ちょっと体調が小康状態になったので、どうにか、なつかしい五人の集まりに顔を出してくれたのだ。
そんな兄ちゃんの体調に、私はまったく気がつかず、「女つれて温泉行ってたんでしょう!」なんて呑気に言いつのったのだから、兄ちゃんは(ああ、病気のこと、まるで気がついてないんだ)と安心したかして、おかしくてたまらなくなったらしい。ひょっとしたら、(このお嬢さんは、相変わらず呑気だなあ)とも思ってくれただろうか。
たしかに、つらい治療の、ほんの隙間のような時間に、誰が「女つれて温泉行ってたんでしょう!」などと責め立てるだろう。兄ちゃんの死んだ後で、奥さまが「それはきっと、涙が出るくらい嬉しかったんですよ。もう、その時期には、家で笑って話すこともありませんでした。そんなに笑わせてくださって、ありがとうございました」と言ってくれた。私は、自分のあまりの呑気さを呪いたくもなったけど、でも、あの時の兄ちゃんの笑い転げている姿を思い出すと、(まあ、こんな性格でもいいか)と自分を慰めることができる。

