「私は、もうダメです。お嬢さんはいつも、元気でいてください」

 そして、兄ちゃんの私への別れの挨拶は、留守番電話へのメッセージだった。「温泉」疑惑を追及してから少し後、今から思えば、最後の入院の直前の頃だった。夜、私が帰宅して、留守番電話を再生すると、兄ちゃんの声がした。

「お嬢さん、お元気のようですね。私は、もうダメです。お嬢さんはいつも、元気でいてください」

渥美清 ©文藝春秋

 いつもより、ちょっとかすれた、この声が最後になるとは思ってもみなかった。また冗談言って、と思ったくらいだった。けれど、このメッセージを思い出すたび、生身の私にではなく、留守電の機械に向かって吹き込む時に、兄ちゃんは何を思っていただろう、何を見つめていただろう、と考えてしまう。たったひとつ、兄ちゃんが欲しかったものは、元気、に違いなかった。元気さえあれば、いくらでも、お客さんを笑わせることができるのに。

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 幸いと言うべきか、後半生の兄ちゃんの主戦場は、劇場ではなく、映画になっていた。若い頃、結核になった時に味わった、浅草の舞台での悲惨な体験を、繰り返さずにすむ手段はあった。撮影所や、ロケの現場で、いくら無愛想でも、いくら空き時間に横になっていても、いくら周囲がピリピリしても、カメラの前へ立つ時だけに集中してエネルギーを注ぎ込めば、つまり、画面に映る寅さんさえ元気に見せることができれば、まだお客さんを笑わせ、楽しませることができる。それでいい、と兄ちゃんはいつか決めたのだ。そしてその兄ちゃんの決意に、私だけでなく、多くの日本人が見事にだまされたのだ。兄ちゃんは、最後まで、本当にうまい役者だった。

「お嬢さんは元気ですね、元気がいちばん!」

 思えば、兄ちゃんは、若い頃から体力に自信がなかったせいもあってか、私の芝居を観に来てくれた時の感想が、いつでも、「お嬢さんは元気ですね、元気がいちばん!」とか、「お嬢さんはいつも元気でいいですね。無事是これ名馬って言葉をご存じですか」とかだった。無事是名馬、の意味を教えてくれたのは兄ちゃんだ。

黒柳徹子 ©新潮社

 私を俳優にしてくださったと言っていい、飯沢匡先生も、先生の書いた台本を渡された私が「どういうふうに演じればいいですか?」と訊ねると、必ず「元気におやりなさい。元気に!」とおっしゃったものだ。

 私は内心、(それはその通りなんだろうけど、そんな単純なことだけでいいのかな? 私に求めることができるのは、そのくらい、ということなのかもしれないけど)と思っていたけれど、兄ちゃんの生き方や言葉も思い返すと、舞台に立つ人間に向けて、結局、それ以上のアドバイスはないのかもしれなかった。

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