若いスタッフは「渥美さんって笑うんですね」と驚いていました

「先日はありがとうございました。渥美さんも嬉しそうでしたね。若いスタッフは、渥美さんが芝居以外で笑ったのを初めて見て、『渥美さんって笑うんですね』と驚いていました。黒柳さんのおかげです」

 私はびっくりした。兄ちゃんの笑ったのを初めて見た? 一体、何が起こっているのだろう? それでも私は、まだ兄ちゃんが、そんなにひどい病気を抱えているとまでは思わなかった。山田監督は、兄ちゃんの病状を薄々察していたそうだけど、あの日の兄ちゃんは、そんな変化を感じさせなかった。感じさせないように、兄ちゃんは必死の努力をしていたのだ。兄ちゃんの死後、山田監督に訊いたら、兄ちゃんは監督に、「朝、撮影所に来て、挨拶するのもしんどいから、みんなに『おはよう』も言わないでくれ、と伝えてくれませんか」と頼んだという。

渥美清 ©文藝春秋

 そう言えば、あの撮影見学の日、私は自分の車を運転して行ったので、撮影が終わってから、兄ちゃんに「私の車で送るから、一緒に帰ろう」と誘ったら、兄ちゃんは「いや、ちょっと、この後、打合せがあるんだ」と断ったのだ。

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もう、私と喋るのもたいへんだったろうに…

「兄ちゃんが、こういう撮影の後に、打合せをするような人じゃないことくらい、知ってます。そうやって私をだまして、何か他のこと、するのね。私と一緒に帰りたくないから、そんなこと言ってるんでしょ。嘘つき!」

「本当に、打合せがあるんだよ。お願いだからさ、そんなこと言わないで」

「わかったわ」

 と、私は一人で帰った。あの時、兄ちゃんは、一日の撮影が終わり、疲労の極みにあって、帰りの車の中で早く横になりたかったに違いない。もう、私と喋るのもたいへんだったろうに、でも、私には気づかれないようにしてくれたのだ。

黒柳徹子 ©文藝春秋

 でも、それが兄ちゃんに会った最後ではなかった。もう一度、私は「嘘つき!」と言うことになった。

 撮影見学の半年くらい後、いつもの杉浦さんたちとの五人の会で、また会えた。この会が、少しずつ間遠になっていたのは、時おり、兄ちゃんが入院していたからだ──ということも、後になって知ったことだ。でも、そんなことを知らない私は、留守番電話にメッセージを残しても(私生活を極秘にしていた兄ちゃんとは、仕事場の留守番電話でやり取りしていた。自宅を知っている人は松竹に一人いるだけだったという)、なかなか返事をくれなかった兄ちゃんに向かって、会うなり言った。