アッシジのフランシスコとは何者か
『ラウダート・シ』の第10節から12節には、「アッシジの聖フランシスコ」というタイトルが付されている。第10節の冒頭から、順を追って読み解いてみよう。冒頭は、次のように教皇選挙のエピソードから始まっている。
ローマ司教に選ばれたときに、導きとインスピレーションを願って選んだ名前の持ち主である、あの魅力的で人の心を動かさずにはおかない人物に触れないまま、この回勅を書くつもりはありません。(邦訳16ページ)
まず、「ローマ司教」とは、教皇のことである。そして、「魅力的で人の心を動かさずにはおかない人物」というアッシジのフランシスコについての記述は、世界中の人々に「近さ」を感じさせ、教皇就任当初から没後に至るまで実に多くの人々を魅了し続けた教皇フランシスコの姿にそのまま重なってくる。それでは、聖フランシスコは、教皇フランシスコにどのような「導きとインスピレーション」を与えたのであろうか。続きを見てみよう。
聖フランシスコは、傷つきやすいものへの気遣いの最良の手本であり、喜びと真心をもって生きた、総合的なエコロジーの最高の模範であると、わたしは信じています。彼はエコロジーの分野で研究や仕事に携わるすべての人の守護聖人であり、キリスト者でない人々からも大いに愛されています。(同上)
聖フランシスコを模範として活動した教皇フランシスコは、まさに「傷つきやすいものへの気遣い」と「総合的な(インテグラル)エコロジー」を体現した人物であった。このテクストで見逃してはならないことは、「キリスト者でない人々からも大いに愛されています」という指摘である。じっさい、カトリック人口が0・34%ほどしかないとされる日本でも、「アッシジのフランシスコ」という名前を聞いたことのある人は比較的多いと思われる。そしてこのこともまた、教皇フランシスコにも当てはまるであろう。来日したことの影響も大きいであろうが、これまでにないくらい、日本のキリスト者ではない人々からも関心を持たれ、愛された教皇であった。
続けて述べられる「彼は殊のほか、被造物と、貧しい人や見捨てられた人を思いやりました。彼は愛に生き、またその喜び、寛大な献身、開かれた心のゆえに深く愛されました」という部分なども、アッシジのフランシスコのことを述べているのか、教皇フランシスコ自身のことなのか区別がつかないような印象を与えるであろう。自らが教皇として選んだ名前と、教皇としての具体的な活動のあいだに、教皇フランシスコの場合には、他の教皇以上に見事なまでの緊密な結びつきが存在していると言えよう。
