僕の話を退屈そうにして聴いてるやつに対して思ってたこと
―― エゴサーチは結構するんですか?
松之丞 しますします。アンケートも見ますし、可視化されたものは全部見ますね。もちろん、「あっ、こいつはないわ」と思うのはツイッターをミュートしますけど、最近そういう人増えて来ましてね。それだけ名前も売れて来たのかと、まあいい傾向だとは思っていますが。
―― まさにブレイクされているわけですから。
松之丞 有吉さんが「ブレイクするということはバカに見つかること」って言っていたじゃないですか。別にバカと思わないんですけど、それだけ色んな人にあれこれ言っていただくというのは、状況変わってきたんだなと。むしろ狭い演芸コミュニティーの中の方が、グチグチした世界だなって思えるくらいですよ。前座の頃、黒門町の本牧亭で僕の話を退屈そうにして聴いてるやつに対して思ってたのは、「最初からあんたに向けてやってないんだよ」って。「この人たちの奥にいる、まだ講談とか興味なくて聴いたことがない人に向けて、僕は講談やりたいんだ」と。生意気ですよね(笑)。ただ、そう思って無心にやり始めてから寄席の常連の方たちも一生懸命聴いてくれるようになりましたし、お客さんの暖かかさも感じるようになりました。
―― こうしてテレビに出て、普段は講談を聴かない層にも顔が売れるようになると、生活も変わりませんか。
松之丞 いやいや、歩いてても気づかれない程度です。さすがに着物着てたら「あっ!」て気づく方はいるようですけど、私服だとわからないですよね。ちょうどいい温度で出させていただいて、ありがたいかなと思います。
講談師が『ダウンタウンなう』に出る意味
―― 著書『絶滅危惧職、講談師を生きる』の中で「講談とテレビの接点を作るとすれば、従来と違うやり方をしないといけない」と述べていますよね。これって、どういうことなんでしょう。
松之丞 今までテレビで講談を目にするとしたら『日本の話芸』くらいですよね? でも現実的には『日本の話芸』をみんな観てるかというと、観てないですよね。落語だって談志師匠が『落語のピン』で、一所懸命カメラ位置を意識して高座とは違う演出をしましたけど、爆発的な視聴率とはいきませんでした。結局、ライブの芸をテレビにもって来て本来の魅力を伝えるってことは、番組のあり方的にも、技術的にも不可能だと思うんです。そうなると「芸」そのものをテレビでいくらやっても完全には届けられない。じゃあ、影響力のあるテレビで講談師は何をすべきかというと、パーソナリティを打っていくことしかないんじゃないかと。まずは、ですね。だから『ダウンタウンなう』に出させていただいて、一所懸命話して「なんだこいつ、面白いな」と思っていただくところからなんだと思っています。そこから、視聴者のうちの何人かわからないけれど、ライブに来てくださって、「こいつ面白いな」から「講談、面白いな」になってくださる方が少しでも増えればいいなと。