『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』は現代将棋界のアイコンである藤井聡太さんの天才性やルーツを、また棋士たちの日々の生態を、師匠の目線から綴った物語である。史上に名を刻むトップ棋士にまつわる書であるならば、本来は盤上に精通した識者によって語られるべきであり、AIが示す評価値がなければ対局の優劣さえ分からない門外漢が解説することの不相応を、まず読者に謝らなければならない。ただ一点、杉本昌隆さんが週刊文春誌上に書いたエッセイは、棋士や盤上の研究者ではなく、広く将棋を知らない一般に向けられたメッセージとなっていることから(少なくとも、そう受け取ったことから)、棋界を取り巻く輪の外にいる者の一人として筆を取らせていただく。
天才を理解してもらう努力
本書の中にも登場するが、将棋の世界には「棋は対話なり」という言葉がある。つまり棋士は言葉を用いなくても会話ができるのだ。盤を挟めばもちろんのこと、「7六歩」などの符号の連なりを見ただけで、指し手がその瞬間に何を考え、何に悩んでいるのかまで分かってしまうという。ここに我々、大衆を寄せつけない壁がある。
一九九六年に当時のタイトル全七冠を制覇した羽生善治さんの登場によって、棋士という職業は、広くお茶の間レベルにまで知られたと言われているが、それでもなお、棋士は謎に包まれている。数少ない棋士への取材経験の中で受けた印象を率直に記せば、“奥深い森の中で、自分たちだけの理を持って生きている人たち”というものであった。将棋人口が約五百万人だとして、全国各地で天才と呼ばれる将棋指しの中から奨励会試験に合格できるのは毎年五十名ほど。二百名近い奨励会員が切磋琢磨しても、年齢制限までに棋士になれるのは一割程度だという。門の狭さで言えば、東大合格の比ではない。そんな彼らが用いる無言の対話は自然と難解になり、タイトルを争うような一握りのトップ棋士の、ましてや藤井さんのような時代の象徴が用いる盤上語となれば、もはや真意まで解読するのは不可能に近いだろう。そして道を極めた人というのは、どの世界であれ、万人に理解されることへの諦めを抱いているものだ。
そうなれば、我々は昼食休憩に何を注文し、おやつの中から何を選んだのかといったことからしか、藤井さんの心理や思考を覗く術はなくなってしまうのである。本書で、師匠の杉本さんはその断絶を埋めようとしているように見える。
