弟子を持つことで師匠が変わる

 本書に描かれているのは、師が弟子に何を与えたかではなく、弟子を持つことによって変わっていく師の姿である。

 令和の時代となり、旧来の意味での徒弟制度は世の中から数を減らした。師弟関係は今や特殊な世界だけに存在するものと思われているのかもしれない。ただ、杉本さんと藤井さんのそれには、時代を超えて、もっと普遍的で開かれたものを感じる。師弟関係の「師弟」を「親子」や「先輩後輩」や「人間」と置き換えても、そのまま通じるからだ。そういう意味で言えば、本書はあらゆる中高年に向けたエールでもある。

 つらいよ、というタイトルに込められた思いを象徴した一節がある。

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“ゆっくり追い越されるのではなくて、気が付いたら抜かれている。私がまさにそうなのだが、負かされる悔しさは頼もしさで相殺され、まんざらでもないのだ”

 杉本さんが自らの敗北や落胆を書けば書くほど、藤井さんを含めた若き棋士たちの人間的な輪郭が読み手に伝わってくる。

鈴木忠平氏の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作

 ときとして、勝利というのは重ねれば重ねるほど硬質で冷たい輝きを放ち、手にした者を孤独にしていく。絶対的な勝者は単一のイメージに押し込められ、理解することを諦めた世間から切り離されていく。おそらく藤井さんは、これからさらに常人の理解を超えた領域へと入っていくはずだ。師はそこまでを見通して、内側から世の中に向けた窓を開いておいたのかもしれない。

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