用いたのは符号ではなく、自虐という話法である。
藤井少年が小学四年生のとき奨励会試験を受けることになり、杉本さんのところへ弟子入りの相談にやってきた(師匠となる棋士の推薦がなければ受験できない)。晴れて師弟になった二人は記念に対局したが、七段の師は十歳の弟子に敗れた。
杉本さんが七段から八段への昇格を果たした日、対局した大阪から名古屋へ帰る新幹線で、車内電光掲示板に自身の昇段がニュースとして流れた。『藤井聡太七段の師匠、杉本昌隆七段が八段昇段』。人生初めての経験に、思わず携帯電話で写真を撮った。
杉本昌隆さんから漂ってきた勝負師の匂い
タイトル保持の規定により、藤井さんが九段となり、八段の師匠を追い越した。会社に例えれば十八歳の重役が誕生したようなもの。ずるいではないか――。全編を通して、湿っぽさとは無縁の、カラリとした自虐が続く。
おそらく他にも方法はあったはずだ。何しろ藤井さんは年長の棋士をほとんど一人残らず追い越してきた。師匠ではない誰かと比較しても、彼の非凡を表現することはできただろう。それでも杉本さんは、自分だけを「凡人役」とすることで、誰も貶めることなく、藤井さんの才能を立体的に読者へ伝えている。
週刊文春の誌上対談で一度だけ杉本さんにお会いしたことがある。印象的だったのは、杉本さんから漂っていた勝負師の匂いである。軽妙な筆致や連載の挿絵のイメージがあったからか、正直に言えば、もっと朗らかで表情豊かな人だと想像していた。おそらく杉本さんもこちらの胸中を察したのだろう。「棋士は表情を読まれてはいけないので、無表情が染み付くのです」と教えてくださった。盤を挟んで動かず、頭と心でのみ戦う将棋では、相手のわずかな仕草や表情の変化が重要な情報になる。だからいつしか棋士は、日常生活においても能面になっていくという。その眼の奥に宿る鋭利な光を見て、私はあらためて、杉本さんが一人の棋士として、藤井さんと同じ土俵で戦っていることに気付かされた。
