間一髪だったと思われることがある。
それは第一発見者のAさんが偶然にもOSOよりも物理的に高い位置にいたという点だ。
クマには自分より高い位置にいる相手に対しては、攻撃を躊躇する習性がある。逆に相手が自分よりも下にいる場合は、積極的に向かっていくことが多い。
もしAさんが下からOSOの潜む茂みに向かっていたら、襲われていた可能性が高いだろう。
一方で赤石は現場を見ながら、こんなことを言った。
「この距離で襲われなかったということは、結構ビビりのクマかもしれねえな」
クマは獲物を食べている最中に近づいてくる人間があれば、獲物を守るために人間を襲うことが多いからだ。確かにOSOの性格として人間を避ける“ビビり”の傾向があるのかもしれない。
牛の死骸を見つけた場所は、沢筋の中段付近。死骸のすぐ横には太い風倒木があり、クマは、この陰に自分の獲物となった牛を隠そうとしていた。そこへAさんが来たのだろう。
死角の多い土地
私と赤石とでその場所を確認したところ、OSOが獲物に周囲の土や木の葉をかけて隠そうとした痕跡が残されていた。
これは一般にクマの「土饅頭」と呼ばれるもので、クマは自分が食料と看做したものを土に埋め、その上から草や葉をかけて隠しておき、また時間を置いて食べる習性がある。従って、OSOはいたずらに牛を襲ったのではなく、食料と看做していることがわかる。
一方で写真で見る限りでは、襲撃された牛は死後硬直が始まっており、死後、時間が経っているような印象を受けた。夜間に別の場所でクマに襲われ、この沢筋まで持ってきた可能性もありそうだ。
クマはこの場で牛を殺したのか、それとも殺した後で引張ってきたのか、あるいは生きている牛を引っ張ってきたのか──せめて当日の現場を我々が検証できていれば、そのあたりがもう少し明確になるのに、と、もどかしい思いがこみ上げてくる。
事件発生から時間が経つにつれて、現場からは色々な物的証拠が消えていってしまう。
だから我々は通常、ヒグマの目撃情報から30分以内の「現着(現地到着)」をモットーにしている。早ければ早いほど、正確な足跡がみつかりやすいし、草木の状態から、どこからどこへ向かって移動したのかという情報を手に入れることができるからだ。
捕獲するためには、そのクマの移動経路を明らかにする必要があるのだが、この土地では移動経路の特定自体、難航しそうだった。