少年時代に友人をいじめていた20歳の青年が、その友人やガールフレンドら7人に暴行を加えられ亡き者にされた「ボビー・ケント殺害事件」。いじめっ子はなぜそこまで深く恨まれたのか? 壮絶な復讐を果たした加害者たちのその後とは?

 1993年(平成5年)の事件の顛末を、我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

写真はイメージ ©getty

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いじめっ子はなぜ殺されたのか?

 1993年、全米を震撼させる事件がフロリダで起きた。中学・高校時代に友人をいじめていた20歳の青年が、その友人やガールフレンドら7人に暴行を加えられ亡き者にされたボビー・ケント殺害事件。加害者らはボビーの死体を沼地に遺棄、ワニの餌にしていた。

 後に事件の主犯格となるマーティ・ブッチオは1973年、フロリダ州ブロワード郡ハリウッドで3人兄弟の二男として生まれた。父はマイアミにある映画製作会社の古参セールスマン、母は病院の受付のパートタイマー。マーティは消極的で大人しいが、幼いころからスケートボードやサーフィンに非凡な才能を示し、年上の少年たちからも一目置かれる存在だった。

 そんな彼の近所に同い年のボビー・ケントが引っ越してきたのは1982年、マーティが9歳のとき。彼の父はイラン系移民でアメリカに渡り株式の仲買人として成功、ブッチオ家に比べ暮らしはかなり裕福だった。

 2人は学校で同じクラスになり、すぐに打ち解けた。周囲にはいつも行動を共にする親友に映った。が、それはあくまで表向きの話。ボビーとマーティの間には明確な上下関係があった。ボビーは明るく頭脳明晰、スポーツも万能、小学校5年生時には模擬選挙でクラスの「王様」に選ばれる優等生。対して、マーティは内気で成績も振るわない。

 そんな彼をボビーは馬鹿にし、目の届かない場所で罵倒したり殴る蹴るの暴行を働いていた。そこには、厳格で何でも一方的に決めつける父親に頭の上がらないボビーがストレスを抱えていた要因もあったようだ。

 2人は中学校も同じで、いじめっ子といじめられっ子の関係が続く。中学1年のときには、遊びに出かけたビーチでボビーがマーティに売店で自腹で食べ物を買ってくるように命令。これをマーティが断ると鼻血が出るほど激しく殴打した。気の弱いマーティは両親に「引っ越したい」と口にするのがせいぜいで、理由を問われても本当のことは言い出せない。それでも、日々落ち着かない様子を案じた彼の両親は、中学2年に上がる際、息子を隣町のデイビーにある学校に転校させた。このことにより、2人は時々外で顔を合わせる程度で、関係は疎遠となっていく。

 高校も最初は別の学校だった。が、マーティが自分の趣味であるサーフィンに適した時間割を敷くサウス・ブロワード高校に転校したことで、また関係が再開する。そこはボビーが在籍していた学校で、他に顔見知りのいなかったマーティは彼と行動を共にするよりなかったほどなく、マーティはボビーに誘われ彼の通うスポーツジムに入会する。これにはボビーの思惑があった。