どのようにして「3浪」に至ったのか
――そこまで勉強をしないと、親から怒られそうなものですが。
でんじろう 親はまったく教育熱心ではなく、とくに母は「人様に迷惑をかけずに生きていければ十分」という考えでした。当時は中卒や高卒で就職が一般的な時代で、勉強を一生懸命するという空気自体、あまりなかったと思います。
――でんじろう先生も、中卒や高卒で就職することが選択肢にありましたか?
でんじろう いえ。実は僕らの世代あたりから、大学進学率が急上昇していったんですよ。何より親が仕事で苦労している姿を小さいころから見ていて「社会は怖いし、働くなんて絶対に無理」と思って、なし崩し的に大学進学の道を選びました。
当時父はすでに亡くなっていて、家にお金もなかったので私立は最初から選択肢になく、狙うなら学費の安い国公立。無謀にも、旧帝大系とか、千葉大とかを目指したのかな。学力的にはどこも到底届かないレベルだったんですよ。進路指導のときに「大学進学したい」なんて言ったら笑われそうで、恥ずかしくて口にできないくらいの学力でしたから。
――受験勉強はどのように取り組んでいたのですか?
でんじろう 参考書や通信教育、ラジオ講座も試しましたがどれも続かず……。「やらなきゃ」という意識だけは強かったので、スケジュールを立てるんです。「ここまでにこれを終わらせよう」みたいに。でも無理な計画すぎて、三日坊主で挫折。当然、実力はまったく身につかず、不合格です。
――そこから最終的に、3浪に。
でんじろう 浪人生活の2年目には親もさすがに心配して、「家で勉強していないで、千葉駅にある予備校に行ったら?」と言われました。2学期から通ったけど、途中からだと授業が全然わからないんですよ。
それで授業に出なくなり、予備校の自習室で問題集を開いても、解けない。そのうち千葉駅まで行っても予備校には寄らず、本屋をぶらぶらして時間をつぶし、そのまま帰るようになりました。
それで3浪になり、友達との接触を恐れて引きこもりのような生活になっちゃって。気晴らしに野山で遊んだりはしていましたが、とにかく受験しては落ちるを繰り返す数年でした。
