サイエンスプロデューサーとして教育現場だけでなく、YouTubeやバラエティでも活躍する米村でんじろうさん(70)。教員時代に始まり、これまで40年以上も科学実験を続けてきた。
以前は書籍からアイデアをひらめくことが多かったというが、最近はYouTubeやTikTokなど、ネット動画も参考にしているという。平成・令和の“マッドサイエンティスト”が実験アイデアを生み出している発想法を聞いた。(全3回の2回目/つづきを読む)
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「単位は落としまくり」4年生なのに、1~2年生が受ける授業に出席
――3浪した末に受かった東京学芸大学の教育学部では、教員を養成するコースで学ばれています。もともと教員になりたい思いがあったのでしょうか。
米村でんじろうさん(以下、でんじろう) いえ、単に理科が好きだったので理工系に進みたいと思い、さらに受かりそうな大学を消去法で選んだ結果でしかありません。
小中高に続いて大学でもほとんど勉強しなくて、単位は落としまくり。4年生になっても1、2年生が受けるような授業に出席している状態で、卒業を危ぶまれてましたが、なんとか4年で卒業できました。ただ気付かぬうちに相当なプレッシャーは受けていたようで、しばらくの間は大学を卒業できていない悪夢をよく見ていました(笑)。
――卒業後はどのような進路を?
でんじろう 当時の学芸大は学生の9割が教員になるといわれるほどだったので、自分もなんとなく、教員採用試験を受けました。1次が筆記、2次が面接で、1次は通過したんですが、同じ学科の友人が落ちてしまって。
その友人が「一緒に大学院行こうよ」と、要は自分の行き場がないから道連れに誘ってくるわけですよ。しかも当時の学芸大の大学院は、博士課程がなく修士課程中心だったため、卒業後の進路が相対的に不利と見なされることがあって、あまり進学する人はいませんでした。

