「何のために生きているのか分からなくなった」給料の高い外資系の会社を辞めようと思ったワケ

――会社員時代から、海外の大会にも参加していたそうですね。

岡本 ポーカーを始めて1年半後くらいには海外の大会に出てましたね。参加費だけでも日本円で安くて10万円以上、高いと100万円以上する大会があって、まとまったお金が必要になるので、「給料の高い会社でよかったな」と(笑)。

――しかし、その会社を辞める決断をされます。どういう心境の変化があったのでしょうか?

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岡本 シンプルに「しんどい仕事を10年も頑張って続けたから、そろそろいいかな」と思って。正直、当時は何のために生きているのか分からなくなってしまったんですよね。

 

――何のために生きているのか分からなくなった。

岡本 当たり前ですけど、お金をいただくためには働かなければいけない。でも、お金のためにこんなにしんどい思いをしている人生ってどうなんだろう、こんなしんどい時間に人生の大半を費やすべきじゃない、と思うようになって。

「ただポーカーをやりたい一心だった」会社を辞めることに不安がなかった

――ポーカーを始めたことで仕事や人生に対する価値観が変わった、ということでしょうか。

岡本 ポーカーに出会って、「世の中にはこんなに楽しいと思える瞬間があるんだ」というのを知りました。短い人生の中でそう思えるものに出会えるのは、とても幸運なことだと思うようにもなったんです。

――自分が楽しいと思えるものに時間を使いたいと思うようになった?

岡本 そうですね。そういう考えになった以上、しんどい仕事を続けるのはもう無理だなと思って、会社を辞めました。

――でも、その時点ではポーカーで生計を立てられる保証はなかったわけですよね。不安はなかったのでしょうか。

岡本 ただポーカーをやりたい一心だったので、正直、何も考えてなかったんです(笑)。それにもしポーカーが上手くいかなくて、いつか貯金が尽きても、10年間外資系の投資銀行で働いた実績があれば、どこかに再就職できるだろうと思ってました。

 

――学生時代はご両親が厳しかったそうですが、会社を辞めてポーカーをやることについて、どんな反応でしたか?

岡本 辞めたばかりの頃は言えませんでした。定職に就かずにポーカーをやっているなんて、一般的には「良いこと」とは言えないですからね。

 だから両親に打ち明けたのは、世界的な大会で良い成績を残して「ポーカーで食べていける」と自信がついた時でした。でも、その前から気づいていたそうです(笑)。今は私の活動を応援してくれてます。