国内女子ゴルフツアー通算23勝、2009年賞金女王にも輝いた横峯さくらさん(39)。28歳で結婚、35歳での長男出産を経たいまもキャディを務める夫・森川陽太郎さんと一緒に、4歳になる長男を連れてツアーで日本中を転戦する生活を送っている。

 妻のキャリアに夫が生活を捧げる形の夫婦生活はどう始まり、どんな苦労があるのか。さくらさんが育った家庭の雰囲気、夫に言われた「3日だけ付き合ってみて」という提案、さくらさんが「ヤバい態度だったと思います」と振り返る奇妙な交際について話を聞いた。(全3回の1回目)

横峯さくらさん ©文藝春秋 撮影・志水隆

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――今日はさくらさんの結婚観についてお伺いしたいのですが、まずさくらさんが育った家庭について教えてください。

横峯さくら(以下、さくら) 共働きで、父親と母親は夜も仕事に出ていました。夜になると姉2人はゴルフの練習で家にいないことが多くて、私は1人で留守番するのが嫌で「じゃあ私も一緒にやる」と言ったのがゴルフを始めるきっかけでした。小さいながらに「お金のかかるスポーツだな」と分かってたので、やめさせられないように必死でついていっていました。

――お母さんもお仕事をされていたんですね。

さくら お弁当屋さんをほぼ1人で切り盛りしていて、本当に大変そうでした。忙しいときは父も、私たち姉妹も手伝っていました。私は小学生だったのでご飯を盛ったり、お皿洗い程度でしたけど。ただ小さい頃は他の家のことはわからないし、横峯家にとってはみんなで働くのが普通という感じでしたね。

「ゴルフの仕事は父、家事は母、お店は2人で、という分け方だったと思います」

――末っ子から見て、ご両親の関係性はどんな雰囲気でしたか?

さくら 初めて聞かれました(笑)。どうなんだろう……。父が居酒屋もやっていて料理が上手なので、ご飯はよく作ってくれた記憶があります。でも家事はほぼ母親がやっていて、大変そうだなと思っていました。両親はずっと忙しいのが当たり前でしたけど、ご飯は家族みんなで一緒に食べてました。

 

――家事はお母さんの比重が大きかったんですね。

さくら そういう時代でしたからね。ゴルフの仕事は父、家事は母、お店は2人で、という分け方だったと思います。私が高校生になってプロの試合をキャンピングカーで回るようになってからは父と2人だったので、料理や身の回りのことは大体やってもらっていた気がします。

――家庭の中心はやっぱりゴルフでしたか?

さくら 小学2年生で始めてからは、完全にそうですね。平日は学校が終わったらすぐに練習だったし、通っていたゴルフ場が月曜日は5000円以下で回り放題だったので、その日は毎週学校を休んでコース練習でした。本当に贅沢な環境だったなって思います。