脚本を読んだ優作が自室から出てくる。

 すぐに感想を述べない。コンポの音楽をかける。

 この脚本は、駄目だったのだ。

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「この話は、なかったことにしよう。それで次にやってほしいのがあるんだ」

「いや、待ってください。どこがどうアウトなんですか」

 優作が、黙りこむ。

 私がムキになって反発、反論することに優作は慣れていない。

 主犯、従犯。共犯。

 この特殊な関係は、私が従順であることで成り立ってきた。

 もう、そうもいかない。『ア・ホーマンス』で、私も創作者として一段上がったはずだ。

 優作とじっくり話し合い、第二稿を書くことで折り合いをつけた。

読まれない第二稿

「作さん、最高だ」

 優作が、京都での撮影を終えて帰ってきた。

「船頭・深谷心平」の撮影ではない。

 深作欣二監督『華の乱』。脚本、筒井ともみ。

 優作はやはり力(リキ)とセンスのある監督が、事前にカッチリと演出プランを作って、その枠に閉じこめ、そこからギリギリのところで出てくる役者の思いがけない演技を待つ、というのが合っているし、うまくゆく。

 実際、深作欣二と組んだ優作は、俳優としては相当の高みにのぼりつめ、テレビドラマで共演した時は幾分喰われていた吉永小百合と、えもいわれぬ高レベルの共演を果たした。

 それと、筒井ともみの脚本を得た時の優作。これも相当に質の良い反応をする。私の脚本ではいっこうに日の目を見ないのは、結局、私のような凡才が書いたものは優作を相当の高みまで誘えていないのではないか。

丸山昇一『生きている松田優作』(集英社インターナショナル)

「チャイナタウン」第二稿ができた。

 テレビ『桜子は微笑う』のリハーサルをしているからそこへ持ってきてくれと言う。

 持参して待っていると、優作に電話がきた。

『ブラック・レイン』のオーディション。

 合格。

 その夜は、関係者が集まって祝杯となった。「チャイナタウン」の第二稿は誰も読まず、私が持ち帰った。なんだ、この仕打ちは。結局優作も私との関係を解消したいのではないか。

 ニューヨークで撮影終了。

 帰国した優作は、日本でも早速映画をやりたいという。

 緑色の血が流れる探偵だ。と、ひとこと。

「チャイナタウン」のシナリオの話はいっさいしない。

 それでも私は、書いた。

「緑色の血が流れる」。SF。

『ブラック・レイン』は結局、主役ではなかった。

 堂々たる主役をこちらのプライドをこめて書き上げた。

 書き上げた日、高熱が出て直接届けられなくなった。

「いいよ。郵送して」

 郵送した。

 返事が、なかった。

 またダメなのか。

 いい加減にしろ。

 優作、返事しろ。

 何度も何度も電話する。

 やっと優作が、出た。