『探偵物語』『野獣死すべし』を手がけた脚本家・丸山昇一。出会う前は「好きな俳優ではなかった」という松田優作との濃厚な関わりについて、こう振り返る。

「一緒に死んでもいいほど惚れていた。殺意を抱くほど憎かった」

 ここでは、丸山氏が松田優作との出会いから永遠の別れまで10年余の日々を綴った『生きている松田優作』(集英社インターナショナル)から一部を抜粋して紹介する。

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 松田優作は1989年11月に膀胱がんでこの世を去った。何度も無茶な発注をされても、彼の期待に応えようと脚本を書き続けた丸山氏。愛憎入り混じる関係の中で交わした“最後の会話”の内容とは――。(全4回の4回目/最初から読む

松田優作 ©getty

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映画撮影の現場に呼び出され…「何があったのか」

「優作が御殿場に来てくれと言ってる。一緒に来てくれないか」

 黒澤満の電話の声に、張りがなかった。

 御殿場といえば、吉田喜重監督『嵐が丘』のロケ地だ。

 黒澤とふたりで馳せ参じる。

 ロケ地近くの旅館で、優作がホッとしたような笑顔を浮かべて待っていた。

「探偵、ちょっとまたやろうかと思ってさ」

 黒澤も私も、かなり戸惑っている。

 優作がひとつの現場に入ると、どんな作品でも没入してしまって、他のことにはいっさい頭がまわらないし、その現場と関係ないものはまず連絡をとらない。まして他の脚本の打ち合わせをするなんて、ほぼありえなかった。

 まして巨匠・吉田喜重監督の指揮下にある。優作も乗馬や能の所作等、十分な準備と気合いを入れて乗りこんでいる。

 何があったのか。

 現場でうまくいってないのか。撮了が近くなって珍しく気が緩んだのか。

「チャイナタウン。中華街のなかには入らないけど、その外側、楼門がチラチラ見えるぐらいキワキワのところで探偵やってる奴、そういうの、どうだ」

 黒澤が、かなり元気になる。

「いっそアメリカ、西海岸のチャイナタウンに乗りこんで『探偵物語』やるか」

 工藤俊作の『探偵物語』、続編を望む声は、日本テレビ、東映だけでなく多くのファンの間からも絶え間なくある。黒澤ももちろんやりたいが優作がやらないというかぎり何も進まない。

「やらない」

 優作、相変わらずニベもない。

「B級の、ちょっとくずれたムービー。丸山、タイトにいってくれ」

 そういうオファーで書き上げた脚本を持って、まず優作邸に行く。題名「チャイナタウン」。