要塞が島に設けられたワケ

 日露戦争に備え、ロシア海軍の瀬戸内海侵攻を警戒した日本軍によって防御施設が置かれた要塞の島。そのひとつはいまではウサギの島として知られる大久野島、そしてもうひとつがここ来島海峡の小島だ。

 中央部には28センチ榴弾砲が6門も設置され、来たるべきバルチック艦隊に備えたのだとか。

日本軍が要塞を設けた小島

 が、結局ロシア海軍が瀬戸内海に侵攻する未来は現実的ではなかったのだろう。榴弾砲は旅順に運ばれて、二〇三高地の戦いで用いられたという。

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 いま、小島には件の榴弾砲のレプリカが展示されている。二〇三高地の激戦も描かれたNHKドラマ『坂の上の雲』の撮影で用いられたレプリカだ。そのほかにもあちこちに芸予要塞往年の姿がそのままに残されている。

榴弾砲のレプリカが見える

 と、かように瀬戸内に浮かぶ芸予諸島の島々は、古くは村上海賊から、近代に至っては軍の要塞と、実に奥深い刻んだ歴史の痕跡を留めている。

 そしてもちろん、これらの島ではいまでも人々の営みが続いている。ひとつひとつの島に、独自の文化と産業が育まれ、それをつないでいまに至っているのだ。

 そんな大小無数の芸予諸島の島々を結んでいるのが、しまなみ海道である。

世界中から注目される“聖地”に?

 しまなみ海道は、正しくは西瀬戸自動車道という高速道路だ。

 広島県は尾道市からはじまり、向島・因島・生口島を経て愛媛県は今治市へ。続けて大三島・伯方島・大島といった島々を渡り歩いて四国本土に上陸する。

しまなみ海道の全体図。波のようにクネクネと曲がりながら、瀬戸内海の美しい島々を縫うように伸びる。車での走行時間は約1時間ほどだという。

 お互いに手を伸ばせば届きそうなほど近い島々は橋で結ばれ、瀬戸内名物のレモン畑も目に入る。

 そして島と島の間には、しまなみ海道ばかりでなく地元の小さな船会社による渡船が行き交い、島から島へと渡ってゆく。

尾道から出港する船

 これぞ、ザ・瀬戸内——。東京などに住んでいる人が想起するような、まるでイメージ通りの瀬戸内の風景がそこに広がっているのだ。

 そんな中を貫くしまなみ海道は、世界中からサイクリストが集まる聖地のような存在になっているのだという。

自転車置き場は多くの人で賑わう

 高速道路でありながら、自転車などが走れる専用道が整備されていて、現在は自転車は無料で走行できる。尾道で借りて今治で返せるレンタサイクルもあるなど、まさに至れり尽くせりだ。

 コロナ禍前は台湾などアジア系の人が多かったが、いまでは欧米からも多くのサイクリストがやってきて、1年を通して賑わっているのだとか。

サイクリストたちがしまなみ海道をゆく

 そりゃあもう島国・日本の誇る瀬戸内の景色が眼下に広がっているのだから、人気になるのも当たり前、といったところだ。

 が、そんなサイクリストたちにも悩みのタネがあるらしい。