昔々、日本に海賊がいたという。
……などともったいぶっても、日本は海に浮かぶ島国なのだから当たり前のこと。港という港、島という島に海賊がいて、海を守っていた。
海賊といってもそれはマラッカ海峡などに跋扈するような、暴行略奪の限りを尽くす類いのものとは別物だ。行き交う船から通航料を徴収し、見返りとして航海の安全を保障する。
潮の流れが不規則だったり急だったりで危なっかしい海域において手慣れた彼らが水先案内を務めたり、また文字通りの海賊、不逞の輩や敵対する勢力の襲撃から守ったりということもあったろう。いわば日本の海賊は、海の守護者というべき存在だった。
海賊たちが拠点にした島
そうした海賊のひとつが、村上海賊だ。
村上海賊は中世、室町時代から戦国時代にかけて、瀬戸内海は芸予諸島に拠点を置いた。そのひとつが、来島だ。
来島は周囲が850mほどという小さな島で、周辺の海域は来島海峡の急流という天然の要塞。村上海賊はこの来島に城を築き、地歩を固めた。
いまでも来島には村上海賊の守り神たる来島八千矛神社が鎮座し、来島城の跡も明瞭に残されている。
すぐ手の届きそうな所に四国は今治の町並みが望めるが、来島を訪れるには今治・波止浜港から渡し船。瀬戸内海には、こうした小さな島が無数に点在している。
来島の北東には、小島という来島よりは大きいけれど、これまた小さな島もある。
この島もかつては村上海賊の勢力下だったのだろうが、見るべきものは近代日本の“要塞”だ。



