スポーツの軸は「体格」ではない

 成田 あとサッカーって、個人レベルでも生まれながらの体格への要求が弱いという説もありますね。前に本田圭佑さんと話してて、「サッカーが不思議なのは、スタープレイヤーがみんな普通の体格なこと」と言っていて。野球でもバスケでも室伏さんでも、プロはみんな生まれながらの骨格の時点で怪物じゃないですか(笑)。でも、リオネル・メッシ(アルゼンチン代表をW杯優勝に導いた天才プレイヤー)は骨格だけならそこらのおっさんと大差ない、と。本田さん自身も体格だけ見れば普通の人です。

 室伏 体格よりも判断能力とスキルですかね。やっぱりスポーツって先を読む、予測をすることが大事。スポーツで動作している時には、既に自分が過去に頭で描いたものを再現しているだけ、ともいえますからね。

 成田 そうやって人間の心身の一番原始的な核を煮詰めるのがスポーツのすごさですね。

 その点、人間が太古から持っている攻撃性とか暴力性、あるいはサディズムとかマゾヒズムともスポーツは関わっている気もします。

 戦争とか殺し合いとか、原始時代から人間がやってきた営みを毒抜きしてゲーム化したものがスポーツとも言えるんじゃないか、と。

室伏広治氏 ©文藝春秋

 室伏 スポーツの起源にはいろんな説がありますが、全ては人の心のあり方が大切になってくると思います。実際、アーチェリーだったり射撃だったり、武器を使ったスポーツは今もあるわけですが、要は心のあり方ですよね。

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(構成 伊藤秀倫)

※本記事の全文(約9500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(室伏広治×成田悠輔「なぜスポーツや足ツボの苦しみは楽しめるのに、労働は楽しめないのでしょうか?」)。

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