私と出会った頃の向田さんは、人生で少し空白のような時期だったのかもしれないと、『向田邦子の恋文』を読んで、腑に落ちた気がした。だから、少し年下で、外で聞いた面白い話もすれば、黙って猫と遊んだりもする、私のような存在が、気楽で、ちょうど良かったのかもしれなかった。
向田の死の20年後、秘めた恋について知る
これは、その当時から、ぼんやりと感じていたことだけど、向田さんは面白い話や噂話が好きで、二人で笑ってばかりいたのに、虚無的は言い過ぎだし、達観したとも少し違うけど、薄く刷毛(はけ)で刷(は)いたような翳(かげ)がある人だった。
その頃の私は、そんな向田さんの翳を、私にはない大人っぽさ、のように見ていたかもしれない。私よりお姉さんだから、大人っぽく感じても当り前かもしれないけど、和子さんの本でお相手のことを知ると、ずっと失われていたジグソーパズルの一片が見つかったような気もする。自分のことがあったから、私に「誰かいるの?」みたいなことも訊かなかったのだ。
めずらしく霞町マンションでの会話を思い出したけど、ある年上の俳優さんが、連日やってきて、向田さんに別れ話のグチというか、未練みたいなことを、こぼすのだという。「彼女、ここに来て、毎晩泣くのよ。困っちゃう」と向田さんは言っていたが、それは自分が乗り越えてきたことと較べたら、生きて別れるくらい、大したことないじゃない――と考えていたのかもしれなかった。
おっちょこちょいで魅力的な女性だった
あの飛行機事故があって、向田さんの秘めた一途な恋のことを知ると、どうしてもしんみりしてしまうけど、少しおっちょこちょいなところもあって、明るいことが好きで、人を楽しませることが上手で、よく一緒に笑い合ったことも、折にふれて思い出していきたい。
ああ見えて、字が下手だった。シナリオの卜書きに「少し狼狽(ろうばい)して」と書いたのが、ほかのひとには「少し猿股(さるまた)して」としか読めなくて、その役を演じる池内淳子さんに「ここで私が、ちょっと穿(は)くという意味ですか?」と真剣に訊かれたこと。