10月1日付京都夕刊は、被害総額が6億円近くに上るとの滋賀県警捜査二課の見方を伝えた。9月30日付京都は大阪市内でのOの目撃証言を掲載していたが、10月2日付夕刊でも「関西方面重点に追及」と、捜査の網が狭まっていることを報じた。

 しかし、その後も行方はつかめず、10月13日付夕刊では「O消えて8カ月 滋賀銀行事件 決め手なし」とし、「既に共犯者によって殺害されたかも」という推理が捜査陣の中にもあると伝えた。

Oの行方はなかなかつかめなかった(京都新聞)

金のほとんどをYにつぎ込んで

 一方、「若い男」の追及は進み、10月15日付朝刊各紙には前日、逮捕状が出されたとの記事が「Y」の実名、顔写真付きで掲載された。京都には別項で「デートと豪遊 OとY」の記事がある。主要部分は――。

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1. Oと知り合った後、Yはタクシー運転手を辞め、定職がなくなったが、Oとの関係は急速に深まり、Oは銀行の同僚に「銀行員にはいないタイプのステキな人」と打ち明けていた。

 

2. 約5年前からは連日のように会い、京都市東山区の天ぷら店や祇園のすし店、クラブで豪華な食事をした後、Yが定宿にしていた左京区のホテルによく泊まっていた。

 

3. Yは住之江、尼崎など大手の競艇場では「大口の勝負をする人」として有名な競艇狂。九州・小倉と大阪の空港に高級車を常駐させ、飛行機と車を乗り継いで競艇場入り。各レースに50万、100万、200万円と常識外れの勝負をしていた。

 

4. Oからの金で買ったと思われる下関の自宅は敷地が1500平方メートルもあり、全室冷暖房完備。ゴルフ練習場にプール付きで総額4000万円といわれ、近所の人は「Y御殿」と呼ぶ。

 

5. 昭和47(1972)年には「Y商会」という金融会社を設立。兄が社長、自分も重役に。

 

6. それに比べOは、自宅からダイヤが発見されただけ。社内預金も150万円程度で、ほかに隠された財産もない模様。だまし取った金のほとんどをYにつぎ込んでしまっていたらしい。

初めて「みつ(貢)ぐ」という活字が(京都新聞)

 このあたりの報道から、Oについて、巨額の横領犯でありながら、男にだまされ貢がされた哀れな女性というイメージが作られ、Yへの非難と反比例して同情が広がっていったようだ。