戦後の高度成長期の終わりは1973(昭和48)年の第1次オイルショックとされる。その直前、1つの事件が世間を騒がせた。滋賀銀行の支店で経理一切を任されていた女が約5年間に約9億円を横領。いまなら約23億円に相当し、詐欺・横領事件の被害額としては史上最大だ。彼女の驚きの動機は――。

 週刊誌などは事件をセンセーショナルに取り上げ、報道は過熱。テレビドラマまで作られた。半世紀以上たったいまも、三菱UFJ銀行貸金庫窃盗のように銀行を舞台にした事件はあるが、振り返ってみて、滋賀銀行の彼女への世間のまなざしはどんなだったのか。

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。容疑者・被告の女はO、男はYとする。(全4回の1回目/続きを見る)

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※写真はイメージ ©AFLO

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 事件発覚は京都の地元紙・京都新聞(以下、京都)の1973年3月31日付朝刊社会面トップ、顔写真入りで報じられた。特ダネだったようだ。

 現金着服、ドロン ベテラン女子行員手配 伝票偽造し200万円 滋賀銀行山科支店 上司見抜けず

 

 滋賀県警捜査二課は30日、京都市内の勤め先の銀行から、入金伝票などを偽造して200万円をだまし取り、行方をくらましている元女子行員を詐欺の疑いで全国に指名手配した。

被害額は2000万円?

 記事はこのリード部分に続き、「被害額二千万円に?」の小見出しを挟んで事件を詳述する。

 手配されたのは京都市左京区、元滋賀銀行山科支店勤務O(42)。調べによるとOは2月1日付で山科支店(京都市東山区)から東山支店に転勤。山科支店で残務整理中の同月3日、架空の「田中一夫」名義で作った200万円の定期預金を当座預金に変更する伝票を偽造し、同行振り出しの小切手(額面200万円)を作り、支店長代理をだまして行印を押させたうえ、同月7日、転勤先の東山支店から現金を引き出していた疑い。

 

 山科支店の後任の行員が残務調べをしたことから犯行が判明。同銀行は2月29日、滋賀県警捜査二課に告訴していた。Oは同月13日夜に家出。行方をくらましており、同月21日に懲戒免職になっている。

 

 捜査二課はOの単独犯行の疑いが濃いとみてさらに調べを進めている。滋賀銀行の西川新造常務は「Oが扱った伝票を調べれば、被害は2000万円に達するのではないか」としている。

事件の初報。京都新聞のスクープか?

「ベテランで、仕事も真面目」「私生活に問題があったとは聞いていない」

 この段階では銀行も横領額はせいぜい2000万円程度とみていたわけだ。記事は次いでOの身上を記述。「仕事まじめだった」が小見出しの支店長談話が付いている。