1973(昭和48)年、第1次オイルショックの直前、1つの事件が世間を騒がせた。銀行支店で経理一切を任されていた女が約5年間に約9億円を横領。いまなら約23億円に相当し、詐欺・横領事件の被害額としては史上最大だ。彼女の驚きの動機は――。

 全盛期の週刊誌などは事件をセンセーショナルに取り上げ、報道は過熱。テレビドラマまで作られた。半世紀以上たったいまも、三菱UFJ銀行貸金庫窃盗のように銀行を舞台にした事件はあるが、振り返ってみて、滋賀銀行の彼女への世間のまなざしはどんなだったのか。

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。容疑者・被告の女はO、男はYとする。(全4回の2回目/続きを見る)

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 Oは当時42歳。独身だったが、滋賀銀行に勤めていた頃は、勤務後にたびたび「若い男」と車で出かけていたなど目撃談が浮上。

 そんな中、京都新聞(以下、京都)は9月30日付朝刊で「若い男」との一問一答を「大金動かす“下関の男友だち”」の見出しで載せた。電話インタビューと思われる。匿名だったが、「北九州出身の元タクシー運転手(32)」で「下関市内の実弟宅に身を寄せていたことが分かった」。

 京都は「本社は29日夜、Oとの関係をめぐって詳細な一問一答を試みた。会見の中で『共犯と疑われても仕方がない立場』としながらも、『自分は1円の金ももらっていない。交際中、彼女の犯行にも気づかなかった』と“黒い関係”はきっぱり否定した」として一問一答の要旨を記した。

タクシー運転手をしていたころに彼女と知り合い…

――Oと知り合ったのはいつか。

 (昭和)40年に京都に来てタクシー運転手をしていた時、彼女が乗り合わせた。それをきっかけに親しくなった。

 

――どのような交際だったのか。

 月に5~7回ぐらい会って、夜に食事することが多かった。親密度は想像にお任せする。最近まで続いていた。家にも行ったことがある。彼女の自宅まで行ったのは私だけだと思う。

 

――多額の金を郷里の方へ送金しているが。

 その点で私が疑われているようだが、全部競艇でもうけた金だ。

 

――数千万円という常識外の金。そんなに勝てるとは思えない。

 競艇では1~2億稼いでいる。きょうも50万円もうけたばかり。3000万円ぐらい稼ぐのは簡単だ。1レースに200万円の資金で6点張り。9990円の配当の当たり券を40万円買えば、すぐ3000万~4000万円になる。

 

――資金はどうしていたのか。

 兄弟など、いろいろなところで借りた。1000万円も借りたと思う。

Yの独占インタビュー(京都新聞)

 のちに男は「日本一(バクチで)負けた男」と言われるようになる。この問答だけでも、表面的には人当たりがよく、多弁な人物と分かる。質問はさらに立ち入る。