1973(昭和48)年、第1次オイルショックの直前、1つの事件が世間を騒がせた。銀行支店で経理一切を任されていた女が約5年間に約9億円を横領。いまなら約23億円に相当し、詐欺・横領事件の被害額としては史上最大だ。
全盛期の週刊誌などは事件をセンセーショナルに取り上げ、報道は過熱。テレビドラマまで作られた。半世紀以上たったいま、振り返ってみて彼女への世間のまなざしはどんなだったのか。そして、事件が示したものは何だったのか。
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。容疑者・被告の女はO、男はYとする。(全4回の4回目/最初 から読む)
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男の濃い髪、きれいな襟足にひかれて
裁判が続行する中、翌1974年10月17日発行の「週刊現代」は「9億円を貢いだYとの愛欲生活ありのまま」という見出しで「本誌独占 滋賀銀行事件のOの獄中手記」を載せた。弁護士経由で入手したらしい手記の概要は次のようだ。
〈1965年の春、京都・四条大橋近くで、当時勤めていた支店の懇親会の帰り、Yの運転するタクシーに乗った。その日、前から付き合っていた男性といさかいを起こし、嫌な気分のまま別れてしまった。そんな私を見たYから「どうされたのですか。何かあったのですか」と話しかけられた。人当たりのいい話し方で、「京都へ来て日が浅いので地理が分からない」と言われ、助手席にまで乗ってしまった。濃い髪やきれいな襟足、関西なまりのない話し方にひかれた〉
〈山科支店に転勤した翌1966年春、琵琶湖から京都へ向かうバスの中でYと乗り合わせた。Yは琵琶湖競艇の帰りだった。「あの時の人ではありませんか」と声を掛けられ、誘われるまま喫茶店で話をした。再び巡り合って、何か運命的なものを感じた。それに、新しい支店で成績をあげようと思っていたところへ、Yがとても収入が多いというので、この人ならきっと口座を開いてくれると信じた。自分の知っている世界とは全く違う人。それがとても新鮮で、人の気をそらさない話術や柔らかい雰囲気、その全てに夢中になってしまった〉

