「女性は便利に使い捨てにされている」という主張

 榎の主張ほど過激ではないが、上坂冬子は1973年10月23日付東京読売「ハイミス犯罪の周辺」でこう指摘している。

 職場では勤続二十何年というベテランとなった。しかし、女性だというので、単なるベテラン扱いで係長にも課長にもさせてくれない。企業の経営者は異口同音に彼女らを指して『ベテランなのだが、トシもトシなので当たらず触らずにしている』などと言っている。つまり、女性なるがゆえに、長年勤続しても企業への貢献度を無視されている。

「女性は実質的に便利に使い捨てにされている」という主張。事件をめぐって、当時こうした視点はあまり見られなかった。当時、事件をめぐってこうした視点はほとんどなかったように思う。Oの人生を考えてみる。良家の子女として生まれ、厳しく育てられたが、父親の失踪で生活は苦しく、高校も中退。

 何とか銀行に職場を見つけた。しかし、そこは約半世紀後の「金融ビジネス」2002年7月号の女性行員匿名座談会でも「まるで監獄」と言われるほど、管理が厳しく堅苦しい世界。文句を言わずに仕事をして、何事もなく日を送り、母と姉との家庭の中で結婚適齢期は過ぎて行った。だが、家でも職場でも“自分らしい生”を表わす機会はないままだった。そんな時、それまで見たことがなかったような男と巡り合った――。

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彼女は何を求めていたのか?

 Yが“ダメ男”だと気づかなかったとは思わない。少なくとも横領に手を染めてからは。しかし、確かに愚かだったが、彼女は何を求めていたのか。男への愛はもちろんあっただろうが、横領した金を貢ぐことが、彼女が“自分らしい生”を表わした唯一の機会だったとはいえないだろうか。

 Oは調べに対し、犯行の最後の頃は「誰か早く見つけてと思っていた」と供述。判決前の記事では「世間がいっときも早く、私の名前を忘れ去ってくれることがせめてもの願いです」と語った(1976年6月28日付京都朝刊)。長い間文句も言わず、言えずに従ってきた職場や家庭、社会への彼女なりの1回きりの復讐だったと考えられなくもない。それが犯罪だったことは悲劇だが……。Oは近年死去したともいわれるが、確認はできない。

【参考文献】
▽諸澤英道『被害者学』(成文堂、2016年)
▽『警察制度百年史』(警察制度調査会、1974年)
▽崎村ゆき子『女囚52号の告白』(恒友出版、1994年)

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