1973(昭和48)年、第1次オイルショックの直前、1つの事件が世間を騒がせた。銀行支店で経理一切を任されていた女が約5年間に約9億円を横領。いまなら約23億円に相当し、詐欺・横領事件の被害額としては史上最大だ。

 全盛期の週刊誌などは事件をセンセーショナルに取り上げ、報道は過熱。テレビドラマまで作られた。半世紀以上たったいまも、三菱UFJ銀行貸金庫窃盗のように銀行を舞台にした事件はあるが、振り返ってみて、滋賀銀行の彼女への世間のまなざしはどんなだったのか。

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。容疑者・被告の女はO、男はYとする。(全4回の3回目/続きを見る)

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犯行の舞台となった滋賀銀行山科支店(『滋賀銀行五十年史』より)

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彼女をめぐるセンセーショナルな報道

「42歳の女性行員が銀行から4億8000万円詐取、年下の男に貢ぐ」。そんな“おいしいネタ”に、発行部数が最大に近づき、取材競争が激化していた週刊誌が飛びつかないはずはなかった。1973年10月12日発行の週刊朝日をはじめ、およそ全ての週刊誌が競って取り上げた。

「4億5000万円を詐取した42歳・独身女の金の使い方」「Oを狂わせた『Y』以前の男とは??」「滋賀銀行横領女性行員のカゲの男を包囲する仕置人」……。

 センセーショナルな見出しが掲げられ、報道は過熱。諸澤英道『被害者学』(2016年)は「過熱取材があった事件は多いが、そのような現象は1970年代ごろから続いている。当時マスコミがエスカレートした事件」として「大久保清事件(1971年)」「富山・長野連続誘拐殺人事件(1980年)」などと並んで滋賀銀行横領事件を挙げている。

 Yの逮捕から6日後の10月21日、Oも逮捕された。22日付京都新聞(以下、京都)朝刊は1面トップのほか、社会面、第2社会面をほぼ全面使って大々的に報じた。

 O、大阪で逮捕 アパート潜伏 Yがもらす 詐取金、全部Yに O自供 せびられて渡す

 

 滋賀銀行山科支店を舞台にした詐欺事件を調べている滋賀県警捜査二課は、逮捕済みの元タクシー運転手Y(32)=山口県下関市=の自供に基づき、21日午後3時10分、元同支店預金係O(42)=京都市左京区、詐欺容疑で全国指名手配=を大阪市城東区のアパートに潜伏中に逮捕した。Oは4億8000万円を上回る金を詐取したことや、全額をYに渡したことなどをスラスラ自供。逃走中に何度も自首や自殺を考えたといい、逮捕時には8カ月余りの逃亡生活にやつれ切った様子だった。

 

 捜査二課がOの行方についてYを追及した結果、21日正午前になって「Oから4月ごろ電話があった。偽名で城東区に住んでいると話していた」と自供。電話番号を漏らした。ただちに捜査員3人を派遣。アパートで買い物から帰ってきたOを逮捕した。

 

 Oは同日午後4時半すぎ、滋賀県警に連行された。調べに対し、2月13日から同月下旬まで大阪市内の旅館を転々とした後、金に困り、同アパートを借りた。2月下旬から大阪・京橋の大衆酒場で炊事婦として働いていたが、病気になって4月下旬に退職。そのころから、酒場で知り合った建設業の男性(40)と同棲していたという。

ついにOも逮捕された(京都新聞)

「Yに渡した金は?」「金は全部取られた」

 同じ紙面には、連行中、記者団からの質問に対し、捜査員を通じたOの回答が載っている。