実行犯より共犯の方が重い量刑は大方の予想を裏切った。裁判官には、世間のOへの同情とYへの嫌悪を情状面に反映させたように思える。京都は社会面に「Y重罰 どよめく廷内」の見出しを立て、大阪朝日新聞の主見出しは「男のずるさに重く」。
「これでは男にだまされるわ」
東京毎日新聞(以下、東京毎日)と東京読売新聞(以下、東京読売)は「貢がせたY(は)十(10)年」だった。判決前から「死刑以外なら控訴はしない」と語っていたOはもちろん、Yも控訴せず、刑は確定。2人は服役した。崎村ゆき子『女囚52号の告白』は自分も収容されていた和歌山女子刑務所でのOのことをこう記している。
彼女が送られてくるというので、所内は落ち着かず、工場でも皆仕事が手につかない、という状況でした。職員さんも好奇心丸出しで彼女を見に行く始末でした。来る前からうわさで持ち切り。囚人スズメのフィーバーぶりはそれは大変でした。
彼女はおかっぱの髪が真っ白になっていました。小柄でいつもうつむき加減。オドオドした様子でした。「有名人」には刑務所側も処遇の面で配慮をします。アヤちゃん(親しくなってから彼女をそう呼びました。皆は「オクちゃん」と呼んでいました)は入所検査を受け、新入り独居房で考査期間を過ごしたところまでは一般と同じでしたが、その後も雑居房に入らず、独居房へ移されました。口さがない人たちが根掘り葉掘り事件のことを聞こうとするのをおもんばかったのでしょう。
刑務所は元銀行員だった彼女を、「外役」(刑務所外での作業)の中でも事務職でなりたい人の多い「計算人」(経理係)にしました。アヤちゃんははじめから「模範囚」でした。
静かでおとなしく、自分から話すことはない人でした。か細い声で聞き取り難い話し方。笑い顔はついぞ見せませんでした。皆が楽しみにしていた慰問演芸会で講堂へ集まった時も顔を上げませんでした。フリー時間は皆から離れて一人で本を読んでいました。彼女が「計算人」になったころ、私は「図書夫」になっていましたが、食堂でよく一緒になりました。
ある時、彼女が声を掛けてきました。「今晩のおかず、何やの?」「天ぷらや」「そうか、ごちそうやなァ」とうれしそうでした。それ以来、私たちは話をするようになりました。私が「きょう、おはぎよ」と言うと、「ヒャアー」。彼女には珍しく表情のある顔をして「生きてる」という声を出しました。
彼女は周囲からは相変わらず好奇の目で見られて「銀行の金、イワ(横領)した悪いヤツ!」といじめる人もいました。そんな時、彼女は目にいっぱい涙をためて私のところへ来ます。「ユキちゃん、あの人たちが怒らはるねんー」と蚊の鳴くような声を出すのです。
彼女はまともに人の顔を見て話をしません。自分というものがあまりなくて、どうでもなる感じでした。私は「これでは男にだまされるわ」と思ったほどでした。
