〈最初のころ、デートの費用はYが出していて、5回目くらいに初めて自分が出した。体の関係ができた後はこちらが出すばかりになった。金を要求する時のYは、優しくねだるような、甘えるような言い方。断っても簡単には諦めず、少し時間を置いて、こちらの顔色をうかがって繰り返しねだるやり方だった。何としてもお金が欲しくて美辞麗句を並べたにすぎなかったのだが、愛情のため盲目になっていた私は、その動作も言葉も真実のようにしか思えなかった〉
「好きな人の頼みにこたえてあげたい心が勝ってしまった」
それでも、彼女が銀行の金に手を出すまでには約1年半かかった。その間、Yから「競艇で勝って必ず返す」と言ってねだられる度に、自分や家族の預金から引き出して貢いでいたという。
〈ついに「銀行で何とかならないか」と言い出した。「どうしても嫌だ。恐ろしい。銀行の金に手を付けるなんて馬鹿なことができるものか」と何度も断った。が、最後には、好きな人の頼みにこたえてあげたいという心の方が勝ってしまった。本当に何という愚かさ、甘さ。
1968年1月、自分が保管している定期預金元票のうち、1つの中途解約手続きをとって支払い決裁者の店長代理の印を別の書類から転写。20万60円の現金を横領した。Yに手渡すと、翌日競艇に賭けてすってしまった。すると「今度こそ勝って、きのうの分と一緒に返す」と言われ、また同じ方法で横領してしまった〉
〈大変なことをしている。早く何とかしなければクビになる。どうしよう、どうしようと悩みながら、要求されては犯行を重ね、500万~600万になったころには、「もうダメだ。返済もできない」と観念した。
Yは、頼みさえすれば私が金を持ってくるという自信がますます強くなり、賭け金も要求する額も増えていった。「金を持ってこなければ銀行に言うぞ」と脅されたことも。私はやけっぱちの気分で、恐ろしい金額を見る度、どこにいても心の休まることはなく、ただ本当のことが話し合えるYといる時だけが、たった一つ安心できる時間だった〉
1973年2月1日、突然Oに転勤命令が出た。転勤すれば、長い間の犯行が明るみに出るのは目に見えている。「一緒に死んでほしい」と言うOを捨てるようにYは下関へ帰ってしまった。

